ロータリー命の熱狂的オーナー|近所の男の子たちの憧れの的だったマツダロータリー。今も手に入れたRX‐2に熱中|1973年式 マツダ RX-2 Vol.1|ニッポン旧車の楽しみ方

1973年式 RX-2。オリジナルのボディにあしらわれた黒のアクセントの使い方が、粋なアメリカンテイストを醸し出す。足回りはミアータ(マツダ・ロードスター)から流用したトキコのショックとアイバッハのスプリングを使用。

       

ニッポン旧車の楽しみ方

幾多の苦難を乗り越え、広島という土地で生み出された世界に誇るロータリーエンジン(RE)は、マツダが量産車への搭載を可能にした歴史的エンジンだ。1967年にデビューしたコスモスポーツを皮切りに、マツダのラインナップに次々と搭載。北米市場へも輸出されたことで、アメリカにも熱狂的なREファンが存在する。今回紹介するギャリー・タウザーさんもそんな1人。クラシックRE搭載車に魅せられ、その思いは息子へも伝わっているのだ。

【ロータリー命の熱狂的オーナー|1973年式 マツダ RX-2 Vol.1】

 ロータリーエンジン(以下、RE)は世界で唯一マツダが量産化を達成し、数々の名車を世に送り出した。そのコンパクトなエンジンから生み出される強大なパワーは、1970年代のアメリカにおける日本車普及の一翼を担った。RE、そしてマツダに魅せられたファンはアメリカにも多い。カリフォルニア州サンノゼ近郊で生まれ育ったギャリー・タウザーさんもその1人。運転免許を取って以来RE一本槍という、熱狂的なマツダオーナーだ。

 70年代後半、タウザーさんが小学校高学年だった頃のこと。近所の男の子たちの憧れの的といえば、それは自分のお兄さんたちが峠に走りに行くクルマだった。誰もが小柄で安価ながらもパワーを誇ったマツダのRE車に乗っていた。まだ運転はできず、ただ取り囲むように見ていたタウザーさんは、峠で壊れたクルマを直すのを一生懸命手伝った。そうすればご褒美に峠に一緒に連れて行ってもらえた。それがうれしかったのだ。こうした日々を過ごし、子供心の中に「マツダロータリー」が刷り込まれていった。

 14歳になると運転免許を取り、壊れたRX‐3を500ドルで手に入れた。初めての自分のクルマだった。1年かけて乗れるようにし、それで毎日のように仲間たちと峠に走りに行った。興味と競争心に危険が覆い隠されてしまうのは若い日の常。ぶつけて壊しては次のクルマを探して直し、直しては走り、走っては壊す。その繰り返しだった。16歳になる頃までに「ずいぶんぶつけたよ。それで限界がわかるようになってきたんだ」という。

 こうして自ら運転と修理の腕を磨いてきたタウザーさんが、現在所有する自慢の1台も、自分で仕上げたクラッシックロータリー、RX‐2である。このクルマとの出合いは2004年。ボロボロの状態だったのを、近所で見かけたのがきっかけだった。オーナーに売買の交渉を申し出ると、その初老の夫婦は「アメリカに移住して最初に買った思い出のクルマなので」と言って、壊れていたにもかかわらず他人へ譲ることを渋った。それでもタウザーさんは引かなかった。「必ずまた動くようにしてみせる」とのタウザーさんの熱意のこもった説得は、オーナーの固かった意志を見事に覆した。

text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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