今なお人気が高いマークⅡ でもなんでマーク「Ⅱ」? Vol.1

今なお人気の高いマークⅡ、こちらは6代目のマークⅡ

       

チェイサー、クレスタと並び、今なお人気が高いマークⅡ。長きにわたり生産されてきたセダンであり、若い人向けに味付けされた性能とルックスで様々な層から愛されているマークⅡだが、なぜマークⅡなのか?なぜマークⅠはないのか?と疑問に思った人は多いだろう。そんなクルマ好きなら一度は思った謎と、多くの人が思い浮かべる5代目マークⅡまでの道のりを紹介しよう。


 




初代マークⅡはコロナのアップグレード版?

現在のマークⅡのイメージからは想像は難しいが過去にはピックアップもラインナップされていた。画像はそんなピックアップを移動式コーヒーショップに改造した車両だ。

5代目マークⅡが大ヒットしたので、マークⅡというと5代目のイメージが強い。
だが、マークⅡの歴史は長く、初代が世に出たのは1968年の9月だ。日産から発売されていたローレルに対抗する形で売り出され、当時の名称は「コロナ マークⅡ」。
トヨタが販売していたコロナの上位車種として設定され、2台目のコロナとして乗ってもらう為に販売されたのがマークⅡの始まりだ。
ちなみにこの初代マークⅡは、エンジンこそワンランク上のモノを積んだが、ボディはコロナとより少し大きい程度で、型式もコロナと同じTを使用。ラインナップもそっくりだったので言うなれば「ほぼコロナ」だった。
なぜそのようなクルマが生まれたのか、というと当時のトヨタの戦略に理由がある。



トヨタの戦略で生まれたマークⅡ

画像は普通のコロナ。上のピックアップのマーク2と比べるとそっくりであることがわかるだろう。

コロナマークⅡ。日本語に訳すと二番目のコロナ。それが生まれた理由を語るのには当時の時代背景を知る必要がある。
というのも当時、クルマはステータスシンボル。「いつかはクラウン」という有名なキャッチフレーズが登場したとおり、出世して高級車に乗ることが目標だった。
そこでトヨタはカローラ、コロナ、クラウンという価格別の車種を用意。日本のお父さんが出世すると共に乗り換えていき、トヨタ車に乗り続けてもらう事を戦略としていた。そのためトヨタは4年ごとにモデルチェンジをしていたのだが、この戦略には大きな穴があった。
コロナからクラウンへ買い換えるにはハードルが高く難しかったのだ。
そこでコロナとクラウンの差を埋めるべく生まれたのがコロナマークⅡである。
 

小さくなってくコロナの文字、二台目のコロナから別の方向へ

小さくなったコロナの文字。画像は2代目のもので、この時点ですでにここまで小さくなっていた。

二台目のコロナとして生まれたものの、2代目のX20にモデルチェンジするとコロナの文字は極限までに小さくなっていた。またクラウンへの橋渡しという役割自体が迷走し、3代目X30になるとそれは顕著になる。
何しろ一部モデルで4輪ディスクブレーキを採用し、当時のあこがれであった直列6気筒のエンジンを積むなどコロナともクラウンとも違う「中型高級セダン」という方向性へ歩み始めたのだ。
その路線に合わせるように若年層向けのスポーティーな兄弟車、チェイサーも登場する。

 

ハイソカーブームの前夜を作った4代目

角張った4代目。このデザインは5代目に引き継がれていく。

そして1980年の10月。
当時の流行であった直線基調のデザインに加え、先代まであった2ドアハードトップを廃止し、4ドアハードトップモデルをラインナップしたことで実用性も相まってヒットした4代目X60が登場する。
このマークⅡは当時最先端の電子装備を装備し、ソファのようなゴージャスなシートを積んだことでクラウンの様な高級車の要素が一層強くなった。エンジンも2Lツインカム24バルブの1G‐GEU型を搭載したモデルが登場するなど、若くスポーティーという味付けが若い層から支持をされた。
この高級・高性能な流れは、ソアラと並んでハイソカーブームの下地を作っていくことになる。
先代で登場したチェイサーに加え、兄弟車のクレスタが加わり「マークⅡ三兄弟」と呼ばれ親しまれたのもこの代からだ。
 

純粋にマークⅡとなった大ヒットの5代目

この白いボディに赤い内装のモデルが一番人気があった。

4代目の追い風に乗るように生まれたのがこの5代目X70マークⅡだ。ハイソカーが憧れの的だった時代に、純白のスーパーホワイトと呼ばれるこの白いカラーが大ヒットを記録。
ツインカム1G-GEU型や4バルブDOHCのツインターボ1G-GTEU型に代表される高性能エンジンに、ラグジュアリーシートやデジタルメーター、パワーシートをはじめとしたエレクトロニクスを駆使した最新装備などを搭載。その豪華さはクラウンに迫る勢いだった。
小さなクラウンとも言えるマークⅡは、グレードによっては150万前後から購入できるという事もあり、月間販売台数が2万台を超える月もあった。
そして、この5代目からコロナの名前が消え、単純にマークⅡという車名になった。
この頃からなぜマークⅡなのか?という疑問が生まれる事になったのである。


マークⅡだった理由

5代目マークⅡの後ろ姿。

マークⅡがマークⅡと呼ばれた理由をまとめると、当初は2台目のコロナとして乗ってもらう為にトヨタがコロナとクラウンの間の車種を設定したため。ということになる。
しかし、マークⅡは二台目のコロナとは言えない中型高級セダンとしての道を歩み、ついにはコロナから独立しマークⅡと呼ばれるほどになった。
その人気は今なお、このような記事ができる程度に高い。
では、その人気の秘訣とヒットしたマークⅡの魅力とは何だったのか。そしてチェイサーやクレスタと何が違うのか? 
次回は大ヒットした5代目に焦点を当て紹介しよう。

text & photo:Nostalgic Hero/編集部

RECOMMENDED

RELATED

RANKING