【2】から続く年に1台、日産のヒストリックカーの復元を手掛ける日産名車再生クラブが2018年のプロジェクトとして1972年式サニー1200クーペGX-5の再生を手掛けた。すでに昨年12月のニスモフェスティバルでその勇姿を披露。今年2月には作業の完了報告会が開かれたが、そこまでの作業の様子、車両の状態をお届けすることにしよう。
【日産名車再生クラブプロジェクト2018 1972年式 日産 サニー 1200クーペGX-5 vol.3】
今回のサニーの場合、こうした意味で大きな困難はなかったというが、名車再生クラブの場合、実際に走ることが前提となるため、文句なく安全性を優先させているという。
ところで、名車再生クラブの構成メンバーは、核となるコアなメンバーが12名。毎回変わらぬ顔ぶれで、これに再生作業に興味を持つ人が応募のかたちで参加。1回(1年)限りの人もいれば2年、3年と繰り返し参加する人もいるようで、逆にヒストリックカーの再生を手掛けるうちに自身も旧車ファンとなり、旧車ライフを満喫するメンバーも少なからずいるという。
ところで、今回再生クラブのプロジェクトは、B110サニーだけでなく、82年式PA10バイオレットのLZ20B型エンシンのレストアも含まれていた。日産PA10バイオレットといえば、79年から82年まで、4年連続でサファリラリーを制するという歴史的偉業を達成しているが、このうちグループ4仕様の4バルブDOHCで戦った、82年マルボロカラー車のエンジンをリビルドしていた。
こちらもパーツ入手に苦労があり、裏技を駆使して走るようにしたという(日産エンジン博物館の協力が得られたとのこと)。
このサニーとバイオレットのテスト走行を担当したのが和田孝夫さん。このGX-5とほぼ同時期にサニーでレースを始めた和田さんにとって、いわばサニーはレースの原点。当時アマチュアドライバーとして、その後プロドライバーとして、また最近ではヒストリックレーサーのステアリングを握る機会も多く、和田さんにとっては思い出の車両以上の存在だが、これほど小型コンパクトで凝縮された車両はいまだにないとか。何の変哲もない偉大な車両、それがサニーだという。
【画像23枚】テスト走行を担当した和田さんいわく「何の変哲もない偉大な車両」それがサニーだという>>タコメーターの指示は8500回転。最終的には1万rpm近くまで回ったエンジンである。
>> 実走行による確認は和田選手が受け持った。ギア比などは合わないが当時のコンディションで富士を周回。この個体は走る機会もそれほどなかったはずだ。
>>和田孝夫選手のレースデビューはB110サニー。当時の多くのドライバーはこの車両がレースの原点となっている。
【1】【2】から続く初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 vol.192
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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