スーパーシルエットの流れを受け、宣伝3課を軸に始まった日産のグループC活動に対し、
トヨタ勢はそれぞれ独自にル・マンや海外でレース活動を行っていた、童夢とトムスが手を携える形で始まった。
トヨタエンジンに和製シャシー/チューナーの組み合わせである。
【国内モータースポーツの隆盛 第6回 グループCカー時代の到来2 童夢とトムスで戦ったトヨタ陣営 Vol.1】
日産のグループCカー活動は、スーパーシルエットが発展的解消を遂げる形で始まっていたが、トヨタの場合これとは少し異なる形で展開した。
1970年代、石油危機、排ガス対策の影響によりメーカーが表立ったモータースポーツの舞台から撤退後、トヨタのモータースポーツ活動を支えたのはトムスだった。
1970年代中盤、特殊ツーリングカー(KP47スターレット)で本格的なレース活動を立ち上げたトムスは、レギュレーションの流れに歩調を合わせ、1970年代末にはスーパーシルエットに進出。日産勢と好対照だったのは、西ドイツ・シュニッツァー社製作のセリカターボを導入した点で、エンジンも含め、本格的な車両開発能力を持たなかった当時のトムスにとって、賢明かつ効率的な選択肢と言えるものだった。
一方、トムスとはまったく別に、プライベート企業ながらル・マンを目指し、挑戦を始めていたコンストラクターがあった。先頃現役引退を表明した林みのる率いる童夢である。1979年、同社初となるグループ6プロト「童夢‐零RL」で念願のル・マンに初参戦。以後、RL‐80/81、RC‐82へと発展していくが、この過程となる1980年、トムスのために童夢セリカ・ターボを開発、ル・マンに臨んでいた。
80年代、トムスと童夢という、この2つのコンストラクターがル・マンをきっかけにつながり、グループC参戦で結びついていくのだ。
>> 【画像15枚】童夢RC‐83 & トヨタ・トムス83Cからトムス86Cまでの歴代のマシンなど>> トムスの依頼により童夢83Cのスタイリングをモディファイしたトヨタ・トムス83C。エンジンは3T-GT型の発展型となるWRCセリカ用の4T-GT型を搭載。1983年第3戦富士1000kmからの投入でドライバーは松本恵二/星野薫/関谷正徳という顔ぶれだった。
【2】に続く初出:ハチマルヒーロー 2015年 11月号 vol.32
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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