1979年に始まるスーパーシルエット・レースに素早く対応したのは日産勢だった。
しかし、トヨタ勢、正確に言うなら1組織「トムス」も同時にアクションを起こしていた。
プライベーターながらトヨタのモータースポーツ活動を牽引する活躍を見せていく。
【国内モータースポーツの隆盛 第3回 日産ターボシルエットに対抗した、トヨタの旗手トムスGr.5の孤軍奮闘 Vol.2】
【1】から続く FIAが提唱したグループ5の車両規格、実施されたものの参加メーカーの数が伸びず、このカテゴリーを諦めるといういきさつがあった。結局、グループ5はヨーロッパ選手権として開催された。そこでプライベーターとして参戦するつもりだったトムスは、ここでの参加車両に着目したのである。
BMWのレーシングチューナーとして知られるシュニッツァーが、ドイツ・トヨタとのプロジェクトで20系セリカをベースにするセリカターボを開発して走らせていた。エンジンは18R‐G型を4バルブ化した152E型を搭載。本来このエンジンはWRCセリカ用に開発されたものだったが、これにターボチャージャーを装着してグループ5用に転用したものだった。
トムスはこのセリカターボの日本への導入を計画。1979年の開幕富士戦にトムスセリカターボ(ドライバー舘信秀)として登場させた。唯一のトヨタ車だったが、このときは日産勢も柳田春人のバイオレットターボが1台のみだった。
日産ターボ軍団が人気を集め、BMW‐M1との対決で盛況に見えたスーパーシルエットのレースだが、参加台数は毎回10台前後と多いわけではなく、日産勢とM1だけがやたらに目立つ展開だった。そして脇役として活躍したのがプライベートのロータリー勢で、トムスの活動はまさに孤軍奮闘と呼べる状態だった。
>> 【画像14枚】PA10バイオレットターボとともにコーナーを抜けるセリカターボや、40系セリカベースのトムス童夢セリカのその他のカットなど>> 1979年から始まる新レース「スーパーシルエット」のため、トムスはトヨタ152E型エンジンを使うシュニッツァー製セリカターボを導入。サイドウインドーの形状から分かるようにベースは20系セリカLB。
>> 日本車勢のつばぜり合いに見えたスーパーシルエットレースに登場した海外製グループ5カーのBMW-M1。卓越した性能のシャシーとレスポンスに優れるNA3.5Lエンジンの組み合わせによりどのラインでも通れ、どこからでも抜けるマシンとして日本車勢の大きな脅威になっていた。また、耐久レースで勝つ信頼性の高さもあった。
【3】に続く初出:ハチマルヒーロー 2015年 05月号 vol.29
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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