スーパーシルエットの流れを受け、宣伝3課を軸に始まった日産のグループC活動に対し、
トヨタ勢はそれぞれ独自にル・マンや海外でレース活動を行っていた、童夢とトムスが手を携える形で始まった。
トヨタエンジンに和製シャシー/チューナーの組み合わせである。
【国内モータースポーツの隆盛 第6回 グループCカー時代の到来2 童夢とトムスで戦ったトヨタ陣営 Vol.2】
【1】から続く 1980年、トムスのために童夢セリカ・ターボを開発し、二人三脚でいどんだル・マン。結果的に、童夢セリカ・ターボは失敗作となったが、歴史的に振り返れば、童夢とトムスの間に関係が生じたことのほうがはるかに意味があった。
1983年、日本でグループCカーレース(全日本スポーツプロトタイプカー選手権=JSPC)が始まると、童夢とトムスは手を携える形でプロジェクトを立ち上げた。しかし、童夢とトムスでは車両が異なっていた。
童夢は歴代ル・マンカーの発展型となるRC‐83にコスワースDFLを搭載、トムスはトヨタ4T‐G型ターボを搭載するトヨタ・トムス83Cという内容だったのである。
一見するとデザインが異なり、関連のない車両同士にも見えたが、トムス83Cのシャシーは童夢RC‐83そのもので、フェイスデザインをトムスの意向に沿って仕上げた車両だった。
新レース、新態勢の創世期に多く見られがちな暫定仕様とも言える状況で、シリーズ2年目となる翌1984年、童夢とトムスで使用車両は一本化されることになる。
この車両がトヨタ童夢84Cで、童夢が手掛けたグループC専用設計のシャシーに、トヨタ4T‐G型ターボを搭載。当時、グループCカーのひとつの完成形と言われたポルシェ956を模した設計だったが、林みのるが率いる童夢だけに、レーシングカーながら造形美を意識した美しいボディフォルムが特徴の車両だった。
>> 【画像15枚】童夢RC‐83 & トヨタ・トムス83Cからトムス86Cまでの歴代のマシンなど>> シャシーは両サイドに大きなボックス断面を持つアルミツインチューブモノコックにスペースフレーム構造のエンジンベイを組み合わせる構造。十分なノウハウがなく、ポルシェ956が手本になったという。しかし、独自のボディフォルムは美しく、ファンを魅了した。
【3】に続く初出:ハチマルヒーロー 2015年 11月号 vol.32
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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