1979年に始まるスーパーシルエット・レースに素早く対応したのは日産勢だった。
しかし、トヨタ勢、正確に言うなら1組織「トムス」も同時にアクションを起こしていた。
プライベーターながらトヨタのモータースポーツ活動を牽引する活躍を見せていく。
【国内モータースポーツの隆盛 第3回 日産ターボシルエットに対抗した、トヨタの旗手トムスGr.5の孤軍奮闘 Vol.1】
スーパーシルエットと言うと、どうしても日産勢の活躍をイメージしてしまうが、それも無理のない話で、1979年の創設から最終1984年までの6シーズン全33レースで、実に日産車は22勝を記録。66%の高勝率だが、逆に言えば、強力な日産勢を相手に10勝をもぎ取った有力コンテンダーが存在したことを意味する数字にもなる。
印象として残るのは、やはり日産勢と互角、場合によってはそれ以上の戦闘力を発揮したBMW‐M1がその筆頭格だ。シリーズ2年目となる1980年にオートビューレックから長坂尚樹を擁して参戦。搭載するエンシンはNA3.5Lとパワー面では不利だったが、完成されたシャシー性能により抜群の運動性能を発揮。5シーズンで6勝を挙げる健闘ぶりだった。
残る5勝は、マツダ3勝、トヨタ2勝という内訳で、マツダはスーパーシルエットの発足と同時に開幕2連勝を記録。スーパーシルエットの前身となる富士スーパーツーリングから流れ込んだサバンナRX‐3が、熟成度の高さを生かして勝ったものだ。もう1勝は1981年10月のマツダ253でドライバーは寺田陽次朗。ル・マン用の253をベースにした車両である。
そしてトヨタの2勝となるが、トヨタ系の車両でスーパーシルエットに使えるモデルはセリカぐらいしか見当たらず、日産勢とやり合うために必要なターボエンジンも欠いていた。
しかも、当時トヨタの主戦力はプライベーターのトムスが肩代わりする状態。トヨタ自販宣伝部から活動予算の支援は受けていたものの、日産勢の宣伝3課や追浜のような後ろ盾はなく、技術や物資の支援が受けられていたわけではなかった。
トムスは、1979年に始まるシルエットフォーミュラ(グループ5)のレースに備え、プライベーターとして参戦できる方法を探していた。もともとグループ5の車両規格は、行き詰まりを見せていた3Lプロト(グループ6)によるマニファクチャラーズ世界選手権の代替カテゴリーとしてFIAが提唱したもの。しかし、いざ実施したら参加メーカーの数が伸びず、このカテゴリーを諦めるといういきさつがあった。
>> 【画像14枚】1979年から始まる新レース「スーパーシルエット」のため、トムスはトヨタ152E型エンジンを使うシュニッツァー製セリカターボを導入。サイドウインドーの形状から分かるようにベースは20系セリカLB>> 日本車勢のつばぜり合いに見えたスーパーシルエットレースに登場した海外製グループ5カーのBMW-M1。卓越した性能のシャシーとレスポンスに優れるNA3.5Lエンジンの組み合わせによりどのラインでも通れ、どこからでも抜けるマシンとして日本車勢の大きな脅威になっていた。また、耐久レースで勝つ信頼性の高さもあった。
【2】に続く初出:ハチマルヒーロー 2015年 05月号 vol.29
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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