【1】から続くスーパーカーブームに沸く1970年代、すでに50歳代という熟年の域に達していたジョバンニ・ミケロッティが仕立て上げたサルーンカー。恒星ミザールの名を冠するこのクルマは、故郷イタリアを離れ日本の地で永く眠りについていた。
【1974年式ミケロッティ・ミザール vol.2】
ジョバンニ・ミケロッティは1980年に亡くなり、跡を継いだエドゥガルド・ミケロッティも現在はカーデザイナーとは別の道を歩んでいる。となればミザールが誕生した1974年の時点で、すでにカロッツェリア・ミケロッティで手腕を発揮していた内田盾男さんこそ、ミザールについて一番詳しい人物であり、その際のミケロッティの意匠を今に伝えることのできる唯一の日本人といっても過言ではないだろう。
ミケロッティ・ミザールのベースとなったのは1972年にデビューしたランチア・ベータ。当初は4ドアのファストバックスタイルで、直列4 気筒1.8Lのツインカムエンジンを横置きする、前輪駆動の小型セダンとして登場している。
しかしベータの名は、やはりイタリアのカロッツェリアの手によるホットモデルとして1974年にザガートが製作したタルガトップ式のランチア・ベータスパイダー、1975年にピニンファリーナがリリースしたミッドシップスポーツモデルのランチア・ベータモンテカルロなどが、日本ではよく知られているのみで、ミザールの名は出てこないだろう。
ミケロッティ・ミザールは市販車に発展することはなかった。もちろんガルウイングドアが現実的でないことは当時でも明らかだったが、とはいえ大人4人が乗ることができ、かつ遊び心のあるコミューターというミザールのコンセプトは、21世紀の現代の目で見ても魅力的に映る。
若手デザイナーが台頭し、まばゆいばかりのスーパーカーを続々と発表する中で、熟年の域に達したジョバンニ・ミケロッティが世に問うた大人のためのサルーンカー。
スーパーカーのように、限られた裕福な人しか手にすることができないドリームカーではなく、中流階級でもがんばれば手が届く、ちょっと特別な日に着る上等なスーツのような感触が、ミザールにはあるのだ。
【画像36枚】中流階級でもがんばれば手が届く、まさにちょっと特別な日に着る上等なスーツのようなクルマなのである 取材時、運転席に座らせていただいた。放置期間が長いためエンジンはかけることは叶わなかったが、ステアリングを握ることで感じられる味付けが心憎い。色あせているものの上質と分かるファブリックのシートに腰を落とすと、4名乗車のセダンでありながら、運転席に座れば目の前のダッシュボードにはスポーティーな円形のメーターが並び、シフトレバーはフロアから立ち上がるマニュアルシフトである。
サルーンであっても快適性だけを追い求めるのではなく、クルマをドライブする楽しみを忘れないイタリア人の気質が、ミザールからはにじみ出していた。
>>トラクタブルヘッドライトは電動モーターで開閉する構造。
>>クロモドラのホイールを履くが、これもトリノショーでは異なるデザインのホイールが装着されていたはずだ。
>>ランチアのアイデンティティ、盾をイメージしたマスク。
1974年式 ミケロッティ・ミザール全長×全幅×全高 不明
ホイールベース 不明
トレッド前/後 不明
車両重量 不明
ボア&ストローク 84.0×79.2mm
エンジン種類 水冷直列4気筒DOHC
総排気量1756cc
最高出力 110/6000ps/rpm
最大トルク 14.7/3000㎏-m/rpm
最高速 175㎞/h
トランスミッション 5MT
※エンジンはランチア・ベータ1.8クーペを参照。
【3】に続く初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 vol.192
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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