クーペ35台、コンバーティブル25台の計60台のみのハンドメイドボディ|幻の名車 プリンス スカイラインスポーツ パート2

1961年3月には日本でのお披露目のため、東京の赤坂プリンスホテルで記者発表が行われ、同年10月の第8回全日本自動車ショーに展示、話題を独占した。実際の発売は62年4月になるのだが、プリンスでの生産開始までの手順も独特なものとなった。

 ボディはハンドメイドのため、いくつにも分割された木型に合わせてボディ用の鉄板を叩き出す手法が取られた。イタリアからアレマーノの技術者を日本に招へい。現地から輸送された木型を使って、ボディ製造の方法を直接指導してもらい、日本で量産を開始した。

 当初200台のスカイラインスポーツを製造する予定だったが、クーペ35台、コンバーティブル25台の計60台で終了となった。車両価格がクーペで185万円と、セダンの倍近い高額であり、当時は2ドアクーペが買える余裕ある人たちが少なかったのだ。


タイヤはコンチネンタル・コンタクトを装着。サイズは165/80R15。ホイールキャップは1枚ものに見えるが、センターの丸い部分が外れる2分割。


エンジン型式名はG2型で、富士精密工業時代のGB4型と中身は基本的に同じものを搭載。プリンス自動車工業となり、名称を変更。


スポーツと称するがセダンと同じワンキャブ仕様で、グロリア用の94ps仕様を搭載。


62年の途中で型式名が変えられた。以前は富士精密工業の流れを引き継ぐBLRA-3だったが、この個体は変更後のR21A-1となる。型式プレートの表記も変更。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2017年6月号 Vol.181(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

photo:Isao Yatsui/谷井 功

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