初代に魂を揺さぶられ入社。櫻井眞一郎さんから叩き込まれた、エンジニアとしての基本姿勢と設計哲学|SPECIAL INTERVIEW - スカイライン開発主管が語る、プリンスと日産 - 伊藤修令  Vol.1

初代 プリンス・スカイライン

       
【SPECIAL INTERVIEW - スカイライン開発主管が語る、プリンスと日産 - 伊藤修令  Vol.1】

 スカイラインをメジャーブランドに育てたのは、ご存じのように、初代モデルから開発に携わり、多くのヒット作を生み出した櫻井眞一郎さんだ。その櫻井学校の一番弟子だと周囲の誰もが認め、多くのプリンス系モデルの開発にかかわったのが伊藤修令さんである。櫻井眞一郎さんから、シャシーはもとよりエンジニアとしての基本姿勢と設計哲学を厳しくたたき込まれた。

 伊藤修令さんが広島大学の工学科で機械工学を学んでいた2年生の4月、富士精密工業がプリンス・スカイラインを発表している。このクルマの概要を知った伊藤さんはエンジニア魂を揺さぶられ、自動車の設計に一生を捧げることを誓った。

「ALSI型スカイラインを造った人たちにあこがれて、富士精密工業に入社しました。1959年4月のことです。最初はエンジンマウントの部署に配属され、しばらくして足まわり設計に移りました。この部署の直属の上司が櫻井眞一郎さんです。仕事に対しては厳しい人で、『魂を入れて線を引け』と口うるさく言われました。この時期に技術は人の幸せになるものでないとダメなんだ、と考えるようになり、仕事に取り組んでいます」
 と、伊藤さんはエンジニアとしてスタートした当時のことを振り返る。


>>【画像6枚】スカイラインの生みの親、故・櫻井眞一郎さんのもとでシャシー設計を中心に手腕を奮われた、伊藤修令さんとスカイラインの初期など





【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年6月号 Vol.181
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

SPECIAL INTERVIEW - スカイライン開発主管が語る、プリンスと日産 - 伊藤修令 (全3記事)

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photo:ISAO YATSUI/谷井 功

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