最終戦では3ディビジョンに4車種28台という寡占状態だったグループAレース|JTCC and more Vol.2|ハチマルレースモデルの超絶技巧

スカイラインGT‐Rは、その図抜けたコンセプトと実力でグループAレースを席巻した。

【 JTCC and more Vol.2】

 1990年に登場したスカイラインGT‐Rは、その図抜けたコンセプトと実力でグループAレースを席巻したが、逆にそのパーフェクトぶりがグループA規定を終わらせる要因にもなっていた。いわば「諸刃の剣」となったわけだが、グループA規定が持つ限界点を明らかにしたという意味では、それはそれでよかったのだろう。

 結果的に、GT‐RとM3という絶対王者がそれぞれのクラスを占有したことで、グループA規定が持つメイクス選手権の意味はなくなってしまったのだが、興行的に見たグループAレース(JTC)の人気は、むしろ盛況と言える状態にあった。GT‐Rの圧倒的な強さを見るためサーキットに足を運ぶファンが多かったのだ。

 ちなみにグループA最終戦となった93年のインターTECは、ディビジョン1の7台がすべてGT‐R、ディビジョン2の8台がすべてM3、ディビジョン3の13台がシビック6台、カローラ7台という内訳で、完全にワンメイクス化の様相を呈していたのである。

 1994年以降の全日本ツーリングカー選手権を、クラス2ツーリングカー規定に切り替えた理由はこんなところにあった。実際、28台の参加で4車種しか存在しなかった93年のインターTECと、クラス2規定で開催された1994年インターTECを見比べてみるとその違いに驚かされる。参加台数も38台と大幅に増えていたが、なんといっても10車種を数えるバリエーション豊かな顔ぶれが魅力的だった。

 しかし、力の世界の常で、開催年を重ねるごとに顔ぶれは絞られていくことになる。勝てる可能性を持った者だけが生き残る構図だが、それがグループA最終期の4メーカーだったというのが皮肉な流れだった。日産(プリメーラ/サニー)、トヨタ(コロナ/コロナ・エクシヴ)、ホンダ(シビック/アコード)、BMW318iである。

グループA最終戦はすべてがM3というディビジョン2の8台【写真3枚】

Vol.3に続く

初出:ハチマルヒーロー vol.19 2012年11月号(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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