【12】いよいよ日産内製V12エンジン搭載! ライバル・トヨタ7に3.5秒の差をつけるR382。一見圧勝も実は薄氷の勝利だった|最強のレース組織 日産ワークスの歩み Vol.12

1969年の日本グランプリは、68年の大会から1年5カ月を空ける形となっていた。これは新型グループ7カーを開発する日産、トヨタにとって、開発期間を長くとれることから、歓迎できるインターバルとなっていた。

 日産は、5月のグランプリから半年をおいた年末に、やっと5LV12エンジンを搭載するR381を登場させたが、この間シボレーV8搭載車によるシャシー開発が行われていた。

 12月というのは、グランプリからかなりの時間をあけてしまったようにも思えるが、エンジン開発と車体関係で多くの改良を行ってきたことを考えれば、無理のないタイムスケジュールと見ることもできた。

 このエンジンはGRX-1型と呼ばれる5L仕様のV12で結果的にR381専用となっていた。これを改良して6Lに引き上げたものがGRX-2型となり、R382の開発段階で使われたエンジンだった。そしてグランプリ本番用には、6L仕様として設計されたGRX-3型が使われた。

 日産は、R380の時代から目標ラップタイムを設定し、それを実現するには何馬力が必要になるかといったシミュレーションを行い、開発の目安として使ってきた経緯があった。

 69年日本グランプリに向けた車両開発でも同様のことが行われ、1分45秒というターゲットタイムが設定されていた。R382にかかわる記述でよく誤解されているのがこの部分で「トヨタ7が5LだったからR382は6Lにした」という見方である。

 ちなみに、第5回日本グランプリのポールポジションを獲得したR381のタイムは1分50秒。450馬力と言われたシボレーV8によるタイム だったが、ここから5秒詰めるにはDOHC6LV12(推定600馬力)のパワーが必要だったということになる。

 それにしても日産のシミュレーションは大したもので、69年日本グランプリで北野がマークしたポールタイムは1分44秒77だった。

 第5回日本グランプリ時には、ワークス内がR381組とR380組に分かれたため、開発も2分される形で行われていたが、R382では総力戦となり、R380で開発実績を示した黒沢が、櫻井の信任を得てその能力を発揮していた。

「69年の日本グランプリは720kmと異常に長い。一応2人1組のメンバー構成としたが、3台とも1人でドライブすることを考えていたから、疲れない操作系、素直な操縦性を実現することが重要な作業だった」と黒沢。

 ライバル(とくにトヨタ7)の動向がどうのというのではなく、自分たちが設定した目標を達成すれば、自ずとレース結果は見えてくる、という理にかなった開発が行われていた。

 果たして、R382の3台は、予選タイムでトヨタ7を3秒以上も引き離し、黒沢、北野が僅差のチェッカーとなった決勝は、3位のトヨタ7に1ラップ、4、5位のトヨタ7には3ラップの大差をつけていた。また、瀧レーシングから参戦した注目のポルシェ917は、準備不足やタイヤトラブルが災いして4周遅れの6位に甘んじる結果となっていた。

 こうした展開から振り返ると、R382は圧勝だったようにも思えるが、優勝した黒沢車は終盤エンジンが10気筒になり、タイヤはカーカスが見える状態まで損耗、2位北野車はハーフシャフトのジョイントが壊れる寸前となっていたから、薄氷を踏む思いの勝利となっていた。

 一方、トヨタ7の敗因は、6Lと5Lの差と言われていたが、鮒子田に言わせると見当違いだという。

「とにかくフレーム剛性が低すぎた。だからアンダー/オーバーのハンドリング変化が大きく、安定した走りが出来なかった。それにステアリングが異様に重く、120周を正確にドライブするには負担が大きすぎた」とシャシー性能が低かったことを指摘する。

 その鮒子田、11月の日本CAN-AMではマクラーレンM12にトヨタ5L V8を搭載するマクラーレン・トヨタで参戦。トヨタ7とシャシー性能の違いを体感できる立場にあった。

「マクラーレンのシャシーだったら日本グランプリで勝てたと思う。日産との差は、とかくエンジンの違いと見られがちだが、実はエンジン性能を生かし切るシャシーがなかったため。シャシーさえよければ5L V8で十分に勝てたと思う」

 直接ほかの車両と性能比較をしたわけではないが、R380/R382の開発作業を通じて黒沢も同じようなことを語っている。

「当時は作る側にもフレーム剛性という意識がなかった。旋回Gを受けフレームがたわんだり捻れたりして挙動が不安定になることを、最初はなかなか理解してもらえなかった。しかし、不備を指摘して対策を行うようになってから、シャシー性能は着実によくなっていったと思う」

 では、シャシー性能もエンジン性能も当代一流と言われていたポルシェ917はなぜ不発に終わったのか? タキローラで2度目の日本グランプリに臨んだ長谷見は「今だから」と当時は言えなかった事情を打ち明ける。

「クルマが仕上がっていなかったことも事実だけど、なによりレーシングタイヤのキャリアが浅いブリヂストンの性能が、ほかのメーカーに追い付いていなかったことのほうが大きかった。実は前の年、日本CAM‐AM終了後にグッドイヤーの中古を手に入れ試してみたが、それはもう大違い」

 当時のブリヂストンは瀧レーシングの大スポンサー。ブリヂストン以外の選択肢はあり得なかった。現在は世界に冠たる技術力も、40年近く前は酷評される状況にあったのだ。



前年の第5回日本グランプリに続き、またしても上位グリッドを占めた日産勢。R382とトヨタ7のタイム差は、それぞれ最速車同士で比べると3.5秒(R382北野元20号車とトヨタ7久木留博之2号車)と大差。日産にとっての不安材料は未経験領域となる720kmの長丁場にあった。



ウイングレスボディでダウンフォースを稼ぐ形状として、R382で採用された強いウエッジフォルム。新型トヨタ7ではサイドラジエーター方式が採られていたが、R382ではこれまでどおりフロントラジエーター方式を採用。ノーズ先端に厚みがあるのはこのためだ。



69年9月、富士スピードウェイでのシェイクダウンテストに姿を現したR382。注目の日産製V12、GRX系エンジンを写した貴重なカット(日産撮影)で当時は戒厳令並みの厳しい情報規制下にあった。しかし、この時点ですでにエンジンは6L仕様。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

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