連勝前夜。誕生、最強のツーリングカーGT-R|NISSAN the Race|R380&スカイライン Vol.3

長らくツーリングカーの王座に君臨してきたスカイラインGTを、大観衆の前で引きずり降ろせる日本グランプリは、トヨタにとってまたとない大舞台となっていた。


 しかし、このことはスカイライン側から見ると、逆の現象としてとらえることができるからおもしろい。

S50系スカイラインはデビューから丸5年。

すでに旧態化が著しく、この年の秋には日産ブランドとして新型車の登場が予測されていた。

退役間近のS54が日本グランプリで敗れたとしても、敗戦のイメージが新型車に引き継がれることはなく、心情的なものを別とすれば、被る痛手も皆無に近かった。


 それだけに、失うものがない王者が死にもの狂いで戦いを挑んできた場合、トヨタにとっては最悪のシナリオが展開する可能性もあったのだ。


 結果は、スカイライン勢が壊滅し、1600GTがその優位性を示すレースとなったが、S54Bが劣勢に追い込まれていく時期に、第2特車では青地康雄の指揮下、R381/380のプロジェクトと併行して、新型スカイラインのレース仕様車がテスト走行を繰り返していた。

この車両こそ、翌年2月に発売予定のスカイラインGT-R(PGC10)で、市販と同時にレース仕様に対応できるよう、先行開発が行われていたのである。


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 GR8型を積むR380が日本グランプリを目指して調整を重ね、S54スカイラインが最後の戦いに臨もうとする裏側で、両者の流れをくむ新しい力の胎動があったことは、世代交代の巡り合わせを見るようで、なんとも妙な気分になったことを覚えている。


 それにしても、当時純レーシングエンジンあるいはそれに準じたエンジンを、量産車に搭載する車両造りは世界的に見ても例がなく、それが欧州メーカーでなく日産(プリンス)だったことは、衝撃的であったと同時に優越感を覚えるものでもあった。


 R380は、1969年いっぱいをもってその開発は終了したとされている。

このとき青地康雄は「いったん休息に入るが、要請があれば覚醒してサーキットに赴くだろう」というニュアンスの言葉を残している。


 青地が言う「その時」とは、R90CKに姿を変えた1990年のル・マン24時間ではなかったか、と今では思うようになっている。


スカイラインGT-Rのエンジンとして使うため、GR8型エンジンのディメンションを基本に、量産用として新規に作られたS20型エンジン。

外観上では吸排気を一体化したカムカバーがGR8型とは大きく異なっている。

苦慮したのは市販車としての出力設定で、160psという数値は高性能派と穏健派の中間値で落ち着かせたものだった。




掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Akihiko Ouchi /大内明彦 photo:Sato Masami / 佐藤正巳

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