ライター伊藤梓が黄色い歓声をあげる。かわいいクルマの代表パイクカーを紹介・・・|日産フィガロ

伊藤梓がベタ惚れ! フィガロちゃん

       
80〜90年代は日本車が世界を席巻していたこともあり、新車が次々と登場。各自動車メーカーともにヒット車があったこともり、実験的なクルマも数多く作られていた。

その中でも社会現象となったのが日産パイクカーシリーズ。1987年に発売されたBe-1。その名前由来は、開発時のA案、B案、C案からきており、B案の1つ目ということで付けられた。ベースは82年に発売されたK10マーチであり、機関的にはモデルチェンジ寸前の状態(結局K10は2度のマイナーチェンジを行い10年ものロングランモデルとなる)で見るべきものはなく、東京モーターショーに出展するためだけのショーモデル終わる予定だった。
しかし蓋を開けると85年に開催された第26回東京モーターショーで大人気に。来場者から、すぐにでも欲しいという声が多数届き、限定1万台で市販化したが、わずか2カ月で完売した。発売された87年にはグッドデザイン賞をはじめ数多くの賞を取ったが、その年の12月に生産終了。その後の中古車市場では高騰が続き、第27回東京モーターショーで発表されたパイクカーシリーズ第二弾のパオを早く発売しろという声が市場に広がった。
パオはBe-1と違い、3カ月の受注生産とした。結果的に受注数は5万台を超えて、納車まで1年半となり、これも社会現象となって世間を騒がせた。
そんなパオの狂乱が収まりきらない89年の第278回東京モーターショーにフィガロが登場した。もちろんこちらもショーの最中から予約についての問い合わせが多数届き、ユーザーの混乱を避けるために8000台のみの限定生産を打ち出したが、この少数ロットが逆に混乱を招き、生産数を2万台へと変更。抽選で購入権が当たる形とした。

そんなパイクカーに再びブームが訪れている。
ハチマル車ブームの中の1ジャンルとしてパイクカーが大きな勢力となってきているのだ。特にパイクカーシリーズ最後のフィガロはベースは同じK10マーチながら、ターボ搭載であったため走りもそこそこであり、何より内装のデザインの可愛さはシリーズ随一。女性オーナーへの評価が高いものだった。

普段NDロードスターを駆り、サーキット走行もこなす伊藤梓だが、フィガロの可愛さの前に完落ち。予約済みの新型シビックタイプRのことも忘れて「欲しい、欲しい」を連発。

フィガロ外観
フィガロ外観その2
伊藤梓フィガロ
フィガロオープン
フィガロオープン
フィガロオープン走行
フィガロと伊藤梓


そんな女子な伊藤梓が見られる神回だ。




▶▶▶【動画】https://youtu.be/bT8-yqf6ebI

photo : Yoshitaka Takahara/高原義卓

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