「こんなもん、日本人野郎が作ったガラクタじゃねえか」|日本車の北米市場での躍進とアメリカ人の心情 Vol.1

ダニエル・バンクスさんが、70~80年代に自動車産業に関わったアメリカ人が経験した苦しい心の内を代弁してくれた。

       
本誌連載「アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方」のリポーターとして活躍中の増井久志さんがカリフォルニア在住の経験を通じて感じた、アメリカ人とクルマの関係について、ご本人の考察を交えたコラムを寄稿してくれた。
声高に保護主義政策を唱える新大統領にも伝えたい、これまでに日本の自動車メーカーが心を砕いてアメリカに貢献してきたこと。
日本車が進出した当初から現在までニッポンのクルマはどのように扱われ、そして人々に受け入れられていったのかを振り返る。

【日本車の北米市場での躍進とアメリカ人の心情 Vol.1】

序章:日本車を嫌う人と、大好きな人とが共存するアメリカ


「こんなもん、日本人野郎が作ったガラクタじゃねえか」
 このショッキングなセリフは、自身の寵愛するダットサン240Zで地元ミーティングに参加した際、ある年配の参加者から言われたひと言だと、ダニエル・バンクスさんは教えてくれた。ダットサンの悪口を面と向かって浴びせられるとは、我々日本人にとっては想像もし得ない経験だ。

 2017年、アメリカ第45代ドナルド・トランプ大統領が誕生した。選挙当選の際には世界に驚きが走っただけでなく、地元アメリカでもひと悶着あった。

 トランプ大統領は日本車を名指しして批判し、アメリカへの輸入を減らす計画を掲げている。これは50年間にわたる日本車進出のためにアメリカのクルマが売れなくなり、自動車製造に関わる雇用が減ったとされるからだ。アメリカ自動車業界の労働者(および労働者だったがすでに職を失った人たち)が、トランプ大統領の支持基盤の1つであると言われている。しかし我々日本人にしてみれば、「日本メーカーは今はアメリカで現地生産しているし、日本車の性能がいいからアメリカ人も好んで買ってるんだろうに」ということになる。

 アメリカ人は日本車が好きではなかったのか。40年、50年も前に輸出した日本旧車には、今でもたくさんのファンがいるはずじゃなかったのか。なぜいまさら日本車を締め出そうとするのだろう。

 そんな日本人の疑問は、裏を返せばそれはアメリカ人の苦悩の思い出。1970年代からの日本車躍進の陰でアメリカ人の心に募ったつらい感情を、今回バンクスさんが代弁してくれた。バンクスさんは、本誌連載「アメリカ発!  ニッポン旧車の楽しみ方」第9回(VOL153)にも登場してくれたように日本旧車のファンである。日米の自動車の歴史研究を在野で続ける日本自動車産業の理解者である半面、本職としては国家の安全保障に関わり祖国に忠誠を誓う国家公務員として半生を過ごした、アメリカ人たるアメリカ人である。

 嫌われていた日本車という事実。日本車を嫌う人と大好きな人とが共存するアメリカという国。バンクスさんの言葉を頼りにしながら、アメリカの経験した日本車の衝撃をもう一度考えてみよう。アメリカのクルマ好きだった人たちの目には、新興の日本車は当時どう映ったのだろう。

>>【画像3枚】アメリカの国家公務員として半生を過ごし、プライベートでは日米の自動車産業の歴史研究に没頭しつつ、日産とダットサンのクルマをエンジョイする日本車ファンであるバンクスさんなど

60~70年代:安全性の認識と、オイルショックの激震


 事の始まりは60年代。終戦後10年以上がたち、昭和30年代の日本が次第に元気になっていったころのことだ。戦争で国土に被害を受けなかったアメリカは、滞りない順調な経済成長を続けていた。重工業や道路網も発達し、「デトロイト」の呼び名で象徴されるビッグ3(GM、フォード、クライスラー)を中心としたアメリカ自動車産業は世界に類を見ないほどの巨大産業となっていた。アメリカ人にとって自動車を所有するということは、戦争で勝ち取った国の自由にも似た、人間個人としての自由の象徴だった。クルマを運転すればどこへでも思いのままに行くことができた。映画「アメリカングラフィティ」(1972年)には、そんな若者の様子が描き出されている。
「それは今の70から80歳代の、主に白人の人たちにあたります。結婚して子供が生まれ、家族とともにクルマを通じてライフスタイルを確立した世代。あのころは、アメリカの将来はただひたすらに明るいという希望があった。そういう青春を、クルマとともに謳歌した世代です」(バンクスさん談。以下同じ)

 希望に満ちあふれた、晴れ晴れしいアメリカ社会に時代のかげりが見え始めたのは60年代の半ばだった。
「この時から、自動車業界に次々に訪れることになった時代の変化に関して、アメリカ人は相当につらい思いをし続けたのです」
 最初の変化はアメリカ内部から起こった。ラルフ・ネイダーという弁護士が、1965年発刊の著書「どんなスピードでも自動車は危険―アメリカの自動車に仕組まれた危険」において、自動車の潜在的な危険性を指摘した。
「当時はまだ自動車が危険であるという事実について、だれもよく理解していませんでした」

 ネイダー弁護士の主張では、安全性の欠落を無視して設計されたアメリカ車、特にGMシボレー・コルヴェアが槍玉に挙げられた。「安全上は欠陥車なのに、消費者には何も知らされることなくクルマがそのまま売られている」というのである。

 この事件を機にアメリカの消費者に「車中での安全」という意識が生まれていく。2次衝撃(固定されていない乗員は衝突の際、ダッシュボードや窓ガラスに衝突し致命傷を受けかねないこと)という現象が消費者に理解され始めた。これを受けて1966年、初めての自動車安全基準が米政府によって定められたのである。シートベルト、安全ガラス、ウレタン製ダッシュボードなどなど。現在に続く安全性改善の始まりだった。

 しかしながらデトロイトは、政府主導の安全性改善に素直に賛同しかねた。フォードのアイアコッカ社長は「安全なんて売れるもんじゃない」と演説して回った。ロビイストを雇い、立法を妨害するための資金を政治家に提供したりした。「基準を厳しくしたらクルマが売れなくなるじゃないか。経済が停滞してもいいのか」という理屈である。はるか後の80年代になってもアメリカでは、助手席側サイドミラーがなかったり3点シートベルトがなかったりする新型車があった。デトロイトはその程度の意識だったのだ。

 対照的に、自動車産業がまだ未熟だった日本のメーカーは、米政府が設定した安全基準に反論するすべもなく、ただ基準を満たすしか方法がなかった。ダットサン・フェアレディが1967年、米安全基準に沿ったマイナーチェンジを施したのは本誌にもよく登場する例だ。米政府の設けた基準に対する日本メーカーの対応が、その後の日米の自動車産業の明暗を分けたまず第一点と言える。

 このころ、60年代終盤から日本車のアメリカ上陸が本格化するわけだが、それにはもう1つ、次の時代の変化が必要だった。オイルショックである。

 安全性の騒ぎから覚めやらぬ1973年、アメリカ自動車業界に今度は外部から訪れた試練。オイルショックを機にガソリンは湯水のように使えるものではなくなった。米政府は環境基準(燃費基準と排ガス規制)を決定した。70年代初頭には異様なまでに巨大化していたアメリカ車に比べて、日本車ははるかに小さかったため、オイルショックによる米環境基準は追い風となった。

 環境基準設定の折も、日米メーカーの対応は安全基準のときとまた同じだった。デトロイトが繰り広げたロビー活動に対し、日本はひたすらに基準クリアを目指した。ホンダのCVCCが好例だ。こうなるともう、客観的に見て、自由市場ならば日本車が売れないわけがない。
「ヨーロッパ車も輸入されていましたが、まともな量産車といえたのはドイツのフォルクスワーゲンくらい。それも、いつまでも空冷エンジンにこだわり続けたために次第に時代遅れになって、にっちもさっちもいかなくなっていった」

 ヨーロッパ車も小型ではあったが、市場として大きくなかった(売り込めるとも考えていなかった)アメリカの安全環境基準に対して、それほどの技術努力・営業努力をしなかった。伝統的にドイツには、マイスター的な「いいものを作っていれば、客のほうから買いにくるはず」という考え方がある。

 アメリカという、あこがれにも近かった自動車大国への市場開拓に躍起だった日本は違った。なんとかアメリカに認めてもらいたい一心で熱心に売り込みをかけた日本車は、アメリカの自動車産業にとって「今まで(ヨーロッパ車)と話が違うじゃないか」と見えた。燃費が良く高品質で値段も安く、よく走るしメンテナンスも容易。パーツとサービスのインフラもすでに整っている。売れる理由はそろっていた。

 こうしてデトロイトはいつの間にか、かつて経験したことのないピンチに直面していたのだった。日本からの輸入車に恐怖を感じ始めたデトロイトは批判の矛先を、自国の政治から日本の自動車産業へ向けた。日本人にしてみれば、いいものを安く作る努力は当然のことであり、その結果を享受できるのは選ぶ権利のある消費者である。

 ところがアメリカ自動車産業はそれまでの経験と実績を基にした自信があった。普通に考えてクルマをそんなに安く作れるわけがない。そのうえ熱心に他国に売り込みまでかけてきて、これはきっとアメリカの産業をつぶすために日本の産官学が組んでダンピングしているのだろう、と考えたのだ。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年4月号 vol.180
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日本車の北米市場での躍進とアメリカ人の心情(全3記事)

text & photo:HISASHI MASUI/増井久志 photo support:ANNA BANKS/アナ・バンクス

RECOMMENDED

RELATED

RANKING