独立懸架によってバネ下重量を低減し路面追従性を高めることなど、510ブルーバードの優位点|1969年式 ダットサン 510

アラメダ市はサンフランシスコ湾東部に浮かぶ小さな島。隣接するオークランド市とは3つの小さな橋と2つのトンネルで結ばれるが、通勤時間帯はとても混雑するとのこと。

       
今回紹介するダットサン510のオーナーは、クラシック・ジャガーのプロフェッショナルメカニックである女性。以前はドリフトに魅せられて、そのエキサイティングな世界にどっぷりと浸っていたが、ある日、名も知らない古いクルマを見かけ、そのルックスにあこがれた。その後、縁があって現在の愛車と出合うのだが、この出合いがオーナーのクルマと向き合う生活にも大きな影響を与えることになったのだ。

【1969年式 ダットサン 510 Vol.3】

【2】から続く

 日本旧車の中でもエポックメーキングな1台、510系ブルーバードの誕生の背景は本誌VOL148で紹介した通り。着々と社会に浸透していたマイカーと並行して、イギリスに学んでいた日産は、フェアレディに代表されるようにスポーツカーマインドを持ち合わせていた。プリンス合併直後の510系の開発において動力性能の向上に貢献した新規技術が、SOHCエンジンと後輪独立懸架。もちろんスポーツカーを目指したのではなく、4ドアセダンのラインナップがマイカーの時代をくっきりと映し出していた。

 SOHCエンジンは、バルブを駆動するためのカムシャフトをシリンダー上部へ配置したエンジン。主流だったOHVエンジンではカムシャフトはクランクシャフトの脇でギア駆動され、そこから長い棒(プッシュロッド)を使ってシリンダー上部のバルブを駆動していた。この長い棒を使った動力伝達方法では、高回転でバルブの追随にどうしても遅れが生じやすい。

 高出力化のために回転数を上げるにはカムシャフトをエンジン上部に設置して直接バルブを駆動させればよい。その場合カムシャフトをクランクシャフトに同期させて回転させる新たな方法が必要になる。それがタイミングチェーンの役割だ。しかし新規技術には常に市販車における信頼性と整備性の課題が付いて回る。チェーンが伸びればバルブタイミングが狂うし、もし切れたりすれば同期を完全に失ってバルブがピストンに当たって破損する。それら信頼性にかかわる困難を克服し、かの量産名機L型エンジンが誕生した。


>>【画像14枚】デファレンシャルがシャシーに固定され、そこからユニバーサルジョイントでつながれた伸縮式ドライブシャフトが両輪に向かって左右に伸びている。スプラインの部分はラバーブーツで覆われている。510系セダンの特徴である後輪独立サスペンションなど

 独立懸架によってバネ下重量を低減し路面追従性を高めること。これは高性能エンジンを得た後輪駆動車に取って必須だった。独立懸架ではセンターデフは車体に固定され、車体に懸架された両輪との間を2本のドライブシャフトがつなぐ。車輪の動作に伴ってドライブシャフトは角度が変化するとともに伸縮する必要がある。これを実現したプリンス譲りの技術がボールスプラインだ。これはボールベアリングのように金属球を使った機械要素で、小さな金属球をはさんだ2つの円筒がスライド伸縮し、同時に金属球を通じて回転トルクの伝達も可能である。ただ、こんな精密な可動部品を車体の路面近くに用いるということは、やはり故障の可能性が高くなるため、市販に当たってはこれを克服する必要があった。

 日本全体が打ちのめされた終戦を時間軸の原点にとってみると、510系の誕生はわずかその22年後。高度成長期の日本が生み出した工業技術を保存して維持されている、オリジナル状態を保つ旧車は、エンジニアリングの歴史事典、先人の工夫と努力を今日に伝えてくれている。そんな楽しみ方ができるのも旧車の魅力だ。





ターンフロー式を採用し、スリムなエンジンヘッドを実現したL型エンジンは、510系のエンジンルーム内にコンパクトに収まった。この個体のエンジンは同型のものに載せ替えられていた。オーナーが「ベイビーブルー」と呼ぶボディ色の塗装は、30年前にフロントフェンダーを損傷・交換した際に、ボディ全体をオリジナルカラーで塗り直している。



初出:ノスタルジックヒーロー 2016年 6月号 Vol.175(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1969年式 ダットサン 510(全4記事)

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【4】に続く

text & photo:HISASHI MASUI/増井久志

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