【1】から続く GT‐Rに真っ向勝負で王座奪取 ロータリーエンジンの潜在能力を実証
1969年暮れにRクラス仕様で鈴鹿戦にデビューしたファミリアロータリークーペは、翌70年5月、TS仕様として5月のJAFグランプリに登場。
相手は熟成が進行中のスカイラインGT‐Rだった。
ちょうど1年前の5月、デビュー戦でトヨタ1600GTに辛勝した日産のスカイラインGT‐R陣営は、その後精力的に車両開発に臨み、このJAFグランプリでは高橋国光、黒沢元治、都平健二という完全なワークス体制で参戦する。
【画像7枚】国内でスカイラインGT-RやフェアレディZなどと競い合ったロータリーエンジン搭載のファミリア、カペラ、サバンナこれに挑むかたちになったロータリー勢も片山義美、武智俊憲と完全なワークス体制で対抗。
JAFグランプリではそれぞれ片山、高橋が脱落したものの、武智が黒沢、都平に次いで3位入賞。
絶対王者と見られたGT‐Rを相手に、予選で1秒差に迫り、決勝で表彰台の一角を占める潜在能力の高さを示したのである。
このレースを皮切りに、カペラ、サバンナと相次いで戦闘力の高いモデルを繰り出したマツダは、72年5月の日本グランプリで、ついにGT‐Rを打ち負かすことになる。片山サバンナ、武智カペラ、従野サバンナの順で表彰台を独占。GT‐R勢は高橋、北野、長谷見が4〜6位だったから、文句のない実力勝ちだった。
以後ロータリー車は、富士GCシリーズのサポートイベントであるスーパーツーリングレースでフェアレディZと争うことになるが、主導権はサバンナが握り、ドライバーは一時期、中嶋悟や関谷正徳らが顔を連ねていた。
また、70年代後半には、13B型エンジンで富士GCシリーズに挑戦。マーチのシャシーと組み合わせ、77年に従野が1勝、78年には片山、従野がそれぞれ2勝ずつと、BMWエンジンと互角以上に渡り合っていた。
【3】へ続く>>ファミリアロータリークーペは日本国内では1969年暮れにデビュー。本格的な活動は1970年からで、いきなりJAFグランプリの大舞台でGT-Rに挑戦。遜色ない走りを見せ武智俊憲が3位でゴールした。
>>軽量コンパクトで高出力な特徴を持つロータリーエンジンは富士GCシリーズでスポーツカーシャシーに積まれて真価を発揮した。写真は1978年のマーチ・マツダ、片山義美車。
>>ファミリアでGT-Rに戦いを挑んだロータリーエンジンは、12A型エンジンのカペラ、さらにサバンナGTとモデルを代え、1972年にはGT-Rを破る存在にまで成長した。
全ての画像を見る【3へ続く】レースで活躍したロータリーエンジン(全4記事)初出:ノスタルジックヒーロー 2020年4月号 Vol.198
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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