すぐに販売できるほどの完成度を誇っていたMID4は、突然の生産中止によって世に出ることのなかったクルマだ。
当時として画期的なシステムを持つMID4は、現在もひっそりと存在している。その幻の名車の全容を紹介しよう。
【日産 MID 4-Ⅰ Vol.3】
【2】から続く スタートしたときは、1985年秋の東京モーターショーでお披露目する予定だったが、約2カ月前倒ししてフランクフルトショーでワールドプレミアを行うと決まった。また、富士スピードウェイで開催されるWECのペースカーに使う案も浮上してくる。そのため開発陣は寝る間を惜しんで開発に没頭した。
「Z31フェアレディZのパラレルライジングヘッドライトのMIDを含め、戸塚の工場で6、7台造りました。その頃、高田工業は商用車の改装や改造が多く、乗用車の製作はあまり経験がなかったのです。しかも4WDだからパッケージが大変でした。ショーに出すために製作しましたが、いずれ月産100台ペースで量産に移すと日産側は言っていました。ショーカーでしたが、走りの実力は高かったので、市販化を期待したのですが……」
と、松江は当時を振り返る。(本文敬称略)
>>【画像21枚】MID4を開発している時代は、低偏平タイヤと言えば60ハイトの時代のタイヤや、ネット付きのヘッドレストを装備している本格的なバケットタイプのシートなどMID4開発当時の写真。右下の日付から1985年8月19日に撮影されたものだと分かる。高田工業のスタッフで記念撮影したものだが、今でも高田工業の松江章雄さんのデスクの上に大事に飾られていた。
開発に関わった松江章雄さん(左)は現在高田工業の顧問。MID4-Iは現在高田工業で管理し、開発グループの中心人物である矢代明貞さん(右)の手によって整備され走ることのできる状態にある。
すぐに発売できそうなほど完成度の高いインテリア。小振りなメータークラスターがスポーツカーの証だ。
初出:ハチマルヒーロー 2014年 11月号 vol.27(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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