幻の名車 日産 MID 4|櫻井眞一郎氏が生み出したMID 4|日産 MID 4-Ⅰ

デザインを担当したのは、高級車などのデザインを得意とする前澤義雄だ。

       
すぐに販売できるほどの完成度を誇っていたMID4は、突然の生産中止によって世に出ることのなかったクルマだ。
当時として画期的なシステムを持つMID4は、現在もひっそりと存在している。その幻の名車の全容を紹介しよう。

【日産 MID 4-Ⅰ Vol.1】

 櫻井眞一郎、この不世出のエンジニアが生み出した傑作車はスカイラインだけではない。7thスカイラインを開発しているとき、櫻井は日産テクニカルセンターの商品開発室車両開発統括部長でもあった。この部署で少量生産車を企画し、開発している。指揮を執ったのは、パイクカーのBe‐1と4WDのスーパースポーツカー、MID4だ。どちらも1985年秋の第26回東京モーターショーに出品され、センセーションを巻き起こした。

 MID4開発プロジェクトは、トヨタMR2の登場と前後してスタートを切っている。プロジェクトマネージメントは鈴木薫、車両レイアウトは三村公明、テストと熟成は、プリンス時代にスカイラインやR380シリーズの開発に深く関わり、社員ドライバーとして「プリンス7人の侍」の1人に名を連ねた古平勝が担当した。いずれも櫻井の腹心の部下たちだ。

 エクステリアとインテリアは日産の造形部が担当した。ボディ設計のパートナーに選んだのは高田工業である。少量生産車や特別装備車を得意とする日産のサプライヤーで、後にBe‐1やフィガロなども手がけた。実務の責任者だったのは、現在、同社の顧問を務めている松江章雄だ。(本文敬称略)

>>【画像21枚】2007年に日産の有志がレストアを行ったときに、復活させた紛失したノーズ先端に付く丸い「MID4」のエンブレムなど



ボンネットの先端にはエア抜き用の大きなダクトを設けている。角型フォグランプも組み込んだ。





ドアの後方にはエンジンルームにエアを導くスリット付きのインテークが付く。ミッドシップカーの証だ。ドアノブも個性的なデザインだった。





太いピラーにはフューエルリッドが隠されている。



【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2014年 11月号 vol.27(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産 MID 4-Ⅰ(全3記事)

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text : HACHIMARU HERO/編集部 photo : MASAMI SATOU/佐藤正巳

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