2代目コルベットスティングレー、シェルビー・デイトナをデザインした男が率いたレースチームRBE|BRE Datzilla 510 Vol.4

       
BREを率いるピート・ブロックは、1936年11月15日生まれ。ロサンゼルスのアート・センター・カレッジ在学中に、GMデザイン部門のヘッドハンターによりその才能を見いだされ、19歳という、当時最年少の若さで、GMのデザインスタジオに入社。デザイナーとして、その才能をいかんなく発揮。GMの在籍期間は59年までの約4年間だが、退社後に発売となった2代目コルベットスティングレーは彼の手によるものだ。

 62年からはキャロル・シェルビーの片腕として、空力に優れたシェルビー・デイトナ(デイトナ・クーペ)のデザインを担当した。

 その後65年にシェルビーを退社すると、自らの会社であるBREを起ち上げ、日野コンテッサを駆り、アメリカのレースシーンで活躍した。当時、レースシーンはもちろん、市販車市場でも知名度・信頼性・人気ともまだまだの存在であった日本車を駆り、積極的にレース活動を行ったばかりか、66年10月、アメリカ西海岸のリバーサイドレースウェイで、日本車への注目を大いに高めるきっかけとなる初勝利を収めている。

 そして68年からは日産とのパートナーシップを結び、68〜69年はSR(L)311ダットサンロードスター/フェアレディ、70〜71年は240Z、そして71年の途中から72年までを510/ブルーバードでSCCAレースやトランザムレースに参戦。アルファロメオやトライアンフ、BMWなど、強烈なライバルがひしめき合う各カテゴリーで、勝利を重ね、5年連続で参戦した各クラスのチャンピオンを獲得する活躍を見せたのだ。

 しかし、73年、日産が北米でのレース活動を縮小すると、レースシーンから一切姿を消し、空力のノウハウを生かしたグライダービジネスを始める。

 BREが北米のレースシーンで活動した期間は短かったが、5年連続チャンピオンを獲得するなど、その活躍は、斬新なボディカラーのマシンの記憶とともに、鮮烈な記憶となって人々の心に残っているのだ。



強豪のアルファロメオやBMW勢を抑えて、トップを快走するシーンが何度も見られた。


ラスベガスのショップでインタビューにこたえてくれたピート・ブロック


71年からは510でのトランザムシリーズ参戦も開始。右手前がジョン・モートン。左の青いシャツの人物がピート・ブロック。


70〜71年は、2台の240ZでSCCAレースに参戦。ここでも2年連続チャンピオンを獲得している。

Nostalgic SPEED vol.003 2014年 3月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text : Nostalgic SPEED/編集部 Photo : Akio Hirano/平野 陽

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