とにかく何かをしなくては、と1979年に始まったスーパーシルエットレースは、
立ち上げてみたら予想以上の人気で大成功。しかし、世界の動向はすでにグループCカーの時代へ突入。
要求性能のレベルが高く、自動車メーカーが本腰を入れて臨む条件が揃っていた。
【 ターボテクノロジーの大いなる進化、時代はグループ5からグループCへ Vol.1 国内モータースポーツの隆盛 第4回】
1982年、世界のモータースポーツ規定が大きく変わった。FIAによる競技車両区分がそれまでのグループ1~9制からグループA~D制に変更され、併せて競技の内容、性格も異なる方向性を持つようになっていた。
もっとも、世界のモータースポーツとは言っても、実際にはFIAの直接的な影響下にある西ヨーロッパを指すわけで、他の有力なモータースポーツエリアといえば、独自スタイルのアメリカ、おおむねヨーロッパに追従する形のオーストラリア/ニュージーランド、そして日本という地域分けだった。
当然FIAの規定変更は、日本に対しての影響力が大きく、それに応じた新カテゴリーのレースを検討、模索することになる。ただ、日本の場合は排ガス対策という実質上のモータースポーツ活動休止期があり、必ずしもリアルタイムで西ヨーロッパのレースとリンクしていたわけではなかった。
1979年に始まるグループ5規定によるスーパーシルエットレースがよい例で、ヨーロッパではすでに退潮傾向にあったが、日本ではこれから扉を開けるという状況だった。
本来グループ5カーは、行き詰まりを見せていたグループ6(3Lスポーツプロトタイプ)規定に代わる世界スポーツカー選手権の車両カテゴリーとして考えられたもので、1度は施行したもののポルシェ935が強すぎ、メイクス選手権として成立しなくなる予想外の事態に見舞われていた。
>> 【画像15枚】1983年の全日本耐久(LD)シリーズ とWEC富士戦への参戦を目標に開発されたスカイラインターボCのピットシーンなど>> グループ5スカイラインとの外観上の違いは、やはりこのアングルがいちばん分かりやすいだろう。切り飛ばされて低くなった「チョップドルーフ」が大きな特徴。量産車の面影を引き継ぐだけに迫力は十分以上。
>> 星野一義の「シルビア」は量産車ボディを捨て、純グループCカーに発展。日産LZ20B型ターボ+マーチ83Gシャシーの組み合わせ。このパッケージングは日本独自のものでVG30型エンジンの登場まで続けられた。
【2】に続く初出:ハチマルヒーロー 2015年 07月号 vol.30
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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