復元! 東名サニーを従えて周回。セリカ、レビンを超えるタイムを叩き出したスターレット【1-1】KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス

チャンピオンゼッケン1の鈴木恵一のスターレット。サニー、シビックがかなわなかった史上最強のマイナーツーリングカー

       
日本のマイナーツーリング史に4バルブDOHCを積むKP47スターレットが存在したことをご存じだろうか? 本誌では何度か紹介してきたが、この車両で活動したトムスが復元プロジェクトを立ち上げていた。なにしろ無敵のツーリングカー、その勇姿を再び目にできるのはうれしいことだ。復元作業が始まった2017年当時、ノスタルジックヒーローは密着取材を試みた。

【1-1 1973年の富士GCシリーズの最終に現れたマシン KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス】

【 サニー、シビックがかなわなかった史上最強のマイナーツーリングカー、KP47スターレット Vol.1】

 富士GCシリーズのサポートレースとして始まった特殊ツーリングカーレースは、当初スカイラインGT|Rとマツダロータリー勢の対決により、2Lクラスが集まるスーパーツーリング部門が人気となっていたが、1972年いっぱいで日産ワークスが撤退すると、入れ替わるようにして1300cc以下のマイナーツーリング部門が注目を集めるようになっていた。日産のB110サニーがその立役者だった。

 1300cc以下のツーリングカーレースは、1968年に新時代の基本設計を持つカローラ(KE10系)が登場するとトヨタが主導権を握り、さらにカローラと同系列の2K型エンジンを使う軽量なパブリカ(KP30系)が加わり盤石の態勢が築かれた。

 ちなみに、当時のサニー(B10系)は1000cc車で、車両設計も実用性に主眼を置いた合理的(言い換えれば簡素)なもので、排気量のハンディキャップとも合わせ、とてもカローラに対抗し得る性能ではなかった。
 しかし、サニー、カローラとも第2世代に進化すると両車の関係は逆転。軽量高剛性、空力に優れた車体に潜在能力の高いエンジンを組み合わせたサニーは、またたく間にトヨタ勢を駆逐。むしろ、ライバルは身内のチェリーというような状態だった。


>> 【画像21枚】メカニカルインジェクションを採用した137E型エンジンなど


 KP47スターレットは、こんな時代背景のもとに造られた車両で、1973年の富士GCシリーズの最終戦、富士ビクトリー250kmレースに登場した。

 KP47スターレット自体は、当時のKP30/31と同じエンジンを積むパブリカ系のクーペモデルとして企画された車両だったが、車格的には半段上、少し小じゃれたスポーティークーペの性格設定だった。

 しかし、サーキットではすでに先輩格のKE25カローラクーペがサニーとの戦いに敗れ、もはや3K型エンジンでは、サニーのA12型エンジンには太刀打ちできない、というのがレース関係者に共通する見解だった。

 こうした状況だったから、KP47のサーキット登場は、なぜこのタイミングでスターレットなのか、という素朴な疑問を投げかけた。だが、ボンネットの下にあるエンジンを知ると、この疑問はあっさり氷解した。

 ボンネットの下に収められていたのは見慣れた3K型でなく、結晶塗装を施されたDOHCヘッドを持つ、まったく別のエンジンだったからだ。3K型のヘッドをそっくり降ろし、トヨタ第17技術部が企画した4バルブDOHCヘッドを架装する社内コード「137E」型、3K-R型とも呼ばれるエンジンだったのだ。

 実際の開発作業はヤマハが担当したが、トヨタが新開発した競技用エンジンは、この137E型だけにとどまらなかった。2T|G型を4バルブ化した151E型、同じく18R|G型を4バルブ化した152E型、そして137E型と、3タイプの4バルブDOHCエンジンを開発していたのである。

 どれも高性能エンジンとしてレースやラリーで活用されたが、結果的に性能向上比で見れば、この137E型が断トツの性能を持っていた。

 デビュー戦には赤、黄2台の車両が用意され、それぞれTMSC|Rの久木留博之と舘信秀に託された。そして予選が始まり、富士スピードウェイ内にKP47スターレットの激震が走った。想像を超えたケタ外れのタイムをたたき出したからだ。

 久木留がマークしたポールタイムは2分1秒28! 直近となる9月の富士インター200マイルで久木留自身がセリカ1600GTで記録したタイムが2分2秒38、9月は気温が高いという見方をするなら、6月の富士グラン300kmで高橋晴邦がレビンでマークしたタイムが2分2秒48。

 セリカ、レビンとも格上のミドルクラスツーリングカーで、よく知られるように排気量は1600cc。しかも両車はTMSC|Rのワークスカー、2T|G型のコンペティション仕様となる100E型を積む車両だった。その2台に対し、1300ccながら1秒以上も上回ってしまったのだ。

 これが同クラスのサニーになると、その差は絶望的だった。まるっきりクラス違いのタイムで、久木留、舘の2台に次ぐ3番手タイムをマークした高橋健二の東名サニーでさえ2分5秒69。このクラスのコースレコードは田沼昭雄サニーの2分5秒17だったから、実に4秒も速かったことになる。さらに見方を変えれば、前年いっぱいで撤退したワークスGT|Rの1971年に匹敵するタイムだったのである。

 「まったく別次元、カテゴリー違いの車両と走っている感じ」とは、サニー勢が異口同音に発した偽らざる本音。

 決勝レースは久木留、舘が完全に抜け出し、3番手高橋健二、4番手星野一義(チェリー)に20秒強の大差をつけていたが、予選タイムから見れば、完全に流した走りだったことは明らか。余力の圧勝劇だった。

 しかし、残念なことにDOHCスターレットの登場は、TMSC|Rとして最後のレースとなり、日産も同様だったが、1974年以降はメーカー系が撤退し、プライベーターだけよるレースとなることが予見されていた。

 それだけに、せっかくのスターレットの姿も見られなくなる……と思いきや、トヨタはトムスと桑原自動車にKP47を放出。トヨタ系モータースポーツの拠点として「東のトムス」「西の桑原」と誰もが認める時代だっただけに、トヨタ内で埋没することなく、有力プライベーターの手に渡ったことは好意をもって受け止められた。

 そして、トムス、桑原の手に渡ったDOHCスターレットは、予想どおりに勝ちまくり、トムス車はサニー勢にマイナーツーリングのタイトルを一度も渡すことなく現役を終えていた。

 ひょんなことから40年ぶりに復活する栄光のトムス車、2017年に行われたこの車両の復元作業にノスタルジックヒーローは密着することにした。



>> KP47 DOHCスターレットのデビュー戦となる1973年の富士GC最終戦を走る舘信秀車。久木留博之と2台で強豪サニー勢、チェリー勢を完全に子供扱いするレースだった。





>> 1976年3月の富士GC第1戦、富士300キロスピードレースからのひとコマ。タイトル写真と一連のものだが、チャンピオンゼッケン1の鈴木恵一が東名サニーを従えて。



>> 【画像21枚】メカニカルインジェクションを採用した137E型エンジンなど


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年12月号 Vol.184
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

サニー、シビックがかなわなかった史上最強のマイナーツーリングカー、KP47スターレット(全3記事)

関連記事:KP47DOHCスターレット復元作業 【 1 】

関連記事:スターレット

text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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