1962年10月に東京・晴海で開催された第9回全日本自動車ショー。そのホンダブースに2台のオープンカーが展示された。1台はホンダスポーツ360、そしてもう1台がスポーツ500だった。この時をきっかけに、ホンダはライトウェイト・スポーツカーが得意なメーカーとして、今なおそのヒストリーが続いている。ふとしたきっかけでホンダS800を手に入れたオーナーが、その魅力にとりつかれていくストーリーをお届けする。
【 HONDA車の真骨頂、運転の楽しさに魅せられる Vol.1】
「このクルマはそういえば、高回転までエンジンを回してやると、とってもいい音がするんでした」
真っ赤なホンダS800を走らせた後にクルマから降りると、しばらくぶりに何かを思い出したかのようにうれしそうに感想を述べたのは、オーナーのトーマス・クヌードセンさん。
「7年前に手に入れた時にこのクルマを運転して、それからはずっとレストアにかかっていたものですから。さんざん探して見つけて交換したキャブレターも調子が今ひとつ優れなくて、今日までまともに走れなかったんです」
レストアの間はずっと運転できなかったために、感覚をすっかり忘れてしまっていたと説明した。ガレージの奥から、晴れた午後の日差しの下へとクルマを引き出したこの日。クヌードセンさんは、忘れていた運転感覚を徐々に取り戻すと、サウンド高らかにS800を加速させた。軽く白煙を吐きながら遠ざかっていくS800の後ろ姿には「HONDA」の文字。まさに「ホンダのクルマ、ここにあり」と言わんばかりの勇姿だった。
>>【画像14枚】クヌードセンさんの保管するS800純正パーツリストには、国別のコードが一覧表に記されていた。印刷された日付は1968年3月。ジャパンの文字はないが、オキナワの文字が見える(当時沖縄はアメリカ統治下)ソフトトップもまるで新品同様のクオリティーで見栄えが良かった。そのトップを折り畳みしまい込む際にも、丁寧に、丁寧に作業を行う。その動作は、きっちりとしたクヌードセンさんの性格を表しているようだった。
センタートンネル上部には小物入れ付きのアームレストがあるが、これは純正後付け品で、取り外し可能となっていた。シフトレバー前方のセンターコンソールに警笛器スイッチが備わっているため、「手に当たって不必要に鳴ってしまうことがよくある」ともらしていた。
【2】 に続くノスタルジックヒーロー 2016年8月号 Vol.176
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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