地元の企業や商工会、警察なども協力! 数多くの名車を生んだテストコースを祝う|三次試験場50周年マツダファンミーティング Vol.2|イベントふりかえり

来場者(一部)との記念撮影も行われた。

       
【三次試験場50周年マツダファンミーティング(イベントふりかえり) Vol.2】

 1965年6月に開業して、ロータリーエンジンからスカイアクティブ技術まで、マツダの技術を磨き、育んできたテストコース「三次試験場」が開場50周年を迎えた。それを記念して、マツダファンによって「三次試験場50周年マツダファンミーティング」が開催され、全国から1047台が参加。マツダのルーツともいえる大切な場所で、マツダの開発陣や社員、そしてオーナーが一体となった盛大なミーティングをリポート。

【1】から続く

 名称は「三次試験場50周年マツダファンミーティング」だ。イベント名を見れば分かるように、マツダやマツダ車を愛する熱狂的なオーナーやファンが提案したものである。この情熱に打たれ、マツダが協賛し、協力の形で50周年ファンミーティングが実現した。

 マツダ車のオーナーが実行委員会を立ち上げて実現したファンミーティングだが、地元の企業や商工会、警察などが協力したことで、三次市をあげての盛大なイベントになった。驚いたことに、地元の人たちが試験場の中に入るのは50年にして初めてのことだったのである。この2日間は、三次市や周辺の住民への恩返しも込めて、実行委員だけでなく多数のマツダの社員がボランティアとして参加した。

 マツダ車のオーナーとファンの熱い思いは、晴天を呼んだ。朝は三次名物の霧に見舞われたが、開会式前には太陽が顔を出し、ファンミーティングは2日間とも大きな盛り上がりを見せている。メイン会場には三次試験場に里帰りしてきた歴代のマツダ車がズラリと並べられた。いずれもオーナーが手塩にかけて育くんできた名車ばかりだ。デザインも愛らしいから、老いも若きも熱いまなざしで見入っていた。

【画像50枚】ロータリーエンジン搭載車の開発には欠かせないと、三次にバンク付きの高速周回路を建設した当時の松田恒次社長など

 ステージではロードスターの開発者やレーシングドライバーの寺田陽次郎さんなどによるトークショーが行われ、その横ではマツダのモノづくりの精神を形にした部品やパネルの展示が行われている。また、テストコースのガードレールにサイン、署名するコーナーも人気を呼んだ。ステージの裏にはレストア中のコスモスポーツのドンガラが展示されていた。いずれお披露目されるから、今から楽しみに待ちたい。
 朝から長蛇の列になり、アッという間にチケットが完売となったのが、三次試験場のバンク付き高速周回路をテストドライバーの隣に座って1周する同乗走行である。また、三次試験場中の秘密のエリアをめぐる試験場見学バスツアーも人気だった。バスは連絡通路だけでなく高速周回路にも乗り入れ、それなりのスピードで走るから、参加者のワクワク度もヒートアップ。

 午後のメインイベントは、三次の自動車試験場の開場と時を同じくしてレースの世界に足を踏み入れた寺田陽次郎さんのデモ走行だ。ステアリングを握るのは、91年のル・マン24時間レースを制した4ローター・ロータリーエンジンを積むマツダ787Bである。ビートの利いた独特のロータリーサウンドを奏でながら、バンクの最上段を豪快に駆け抜けていった。

 詰めかけたファンはバンクの上のガードレール側に陣取り、全開走行が巻き起こす風圧とビリビリと伝わる振動を体全体で楽しんでいたようだ。ロータリーファンにとっては、またとないビッグなプレゼントとなった。

 フィナーレは、里帰りしたマツダ車によるパレードランだ。高速周回路を3周して退場するのだが、マツダのボランティアの人たちは、見送るときに1台ずつ「いってらっしゃい」と声をかけ、手を振っていた。ちなみに入場したときにかけた言葉は「お帰りなさい」である。1047台、1864人も来場したため、最後のクルマが退出するまでには2時間近くかかった。



三次試験場の歴史

三次試験場
●所在地:広島県三次市東酒屋町天狗松551-1
●開設:1965年6月5日(当時の金額で約30億円を投じて建設)
●三次試験場の役割:場内にある諸施設、設備の運用・管理、走行試験の管制、場内における安全衛生、機密管理計画の立案・推進、ドライビングスクールの運営、イベント運営のアシスタント
●主要コース・設備:高速周回路(1周4.3km4車線)、第1水平直線路(全長1.8km幅20m)、特殊試験路(全長200m11コース)、旋回場(直径80m)、登坂路(勾配33~12%)、操舵試験路(全長1.0km)、耐久試験路(全長5.0km)、総合性能試験路(外周3.4km、内周1.2km)、風洞実験棟、台上運転装置、安全実研棟、防錆実研棟、電波実験棟、第2PT製造部第2エンジン課三次工場


宇品にテストコースはあったが、ロータリーエンジン搭載車の開発には欠かせないと、当時の松田恒次社長が唱え、三次にバンク付きの高速周回路を建設した。



2ローターのロータリーエンジンを積んだコスモスポーツは三次の試験路で鍛えられ、1967年5月に市販に移された。後期モデルでは連続最高時速200km/hの大台になったが、これは三次で徹底的に行った高速走行テストのたまものだ。これ以降、多くの名車を輩出した。

おむすび形をした高速周回路



開場当時の三次試験場は150万㎡で、国内最大級の規模を誇った。高速周回路は全長4.3kmだ。くしくも、ロータリーエンジンのように3つのコーナーを結んだ形になっている。コーナー部分は300Rだ。基本的には4車線で、最大傾斜は45度。ステアリングを切らずに走れる設計速度は185km/hだった。軽く200km/hで巡航できる。


2台のコスモスポーツを従えて45度のバンクを疾走するのは試作車「マツダR16A」。ロータリーエンジン搭載車の開発のために造られたフルオープンの実験車だった。レーシングカーに近いデザインのボディをまとい、エンジンは4ローターのロータリーエンジンとうわさされるが、詳細は不明


【3】【4】【5】【6】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 12月号 vol.172(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

三次試験場50周年マツダファンミーティング(全6記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 photo : NOSTALGIC HERO/編集部、MAZDA/マツダ

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