北米ピックアップ市場にトヨタが初参入した年は4台しか売れなかったという記録も|1969年式 トヨタ ハイラックス Vol.2|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方

「この家で育った」というジャクソンさんの自宅の外壁は黄色いパステルカラーに塗られ、築60年には見えないほどきれいだった。「若い時分にやった仕事で、建物の刷毛塗装を覚えました。それから趣味で友人のクルマを、それこそ何十台も塗装したんですが、そのうち時間ばかり取られるようになったのでやめました」と経験を教えてくれたジャクソンさん。ユニークな配色のハイラックスの塗装はドアのグレーがオリジナル色だ。

       
【1969年式 トヨタ ハイラックス Vol.2】

Vol.1から続く

独特のピックアップ文化

 ピックアップと呼ばれる形式のトラックは、日本とアメリカではその所有目的も出番もずいぶんと異なっている。貨物車として荷台の露出した形状は屋外での活動にはすこぶる便利なため、オート3輪を含めて戦後の日本ではその姿を見ることが多くあった。日本の経済が発展し、町にクルマの数が増えるに従って、だんだんにピックアップの姿が目に留まらなくなっていったのは、日本の道路が舗装されていくのに比例していたようにも思える。

90psを発生する水冷直列4気筒OHV 1.9Lエンジンなど【写真5枚】

 アメリカでは、全土でフリーウェイ網の整備が進んでも、広大に広がる農耕地や放牧地でのピックアップの出番が減ることはなかった。雨の少ない気候、西部開拓時代から続くDIYの精神、屋内外をあまり区別しない生活スタイルなど、ピックアップはアメリカ人の生活とうまく解け合っていた。

 時代に影響を受けないアメリカでのピックアップの高い需要に、堅牢で低価格という魅力を持った日本車が受け入れられ始めたのは60年代後半のことだ。ダットサン・トラック、なかでも520(1965年発売)は北米日産本社のあったカリフォルニア州を中心に人気を博した。半面、今日では信じがたいが、当時のトヨタと言えば、北米市場ではまだ全く無名の存在だった。トヨタは64年に2代目スタウトを北米ピックアップ市場に投入していたが、その年には4台しか売れなかったという記録もある。

 そんなトヨタも1965年発売の3代目コロナで成功すると、北米での知名度が一気に高まった。69年には、どちらかといえばヘビーデューティーだったピックアップのスタウトから、より日常使いに適したハイラックスにバトンタッチ。ダットサン・トラックには後塵を浴びせられながらも、徐々にトヨタ・トラックの名称で親しまれていった。

 その後の70年代における日本製小型ピックアップの人気の高まりはアメリカメーカーを脅かすほどで、フォード・クーリエがマツダからの車体供給を受けて発売になった経緯などは、本誌VOL.152でリポートした通りだ。

 西部開拓時代を思い起こさせるワイルドさに加えて、アウトドア派のクルマとしてのおしゃれさを持ち合わせるのがアメリカでのピックアップトラック。現在でも衰えないその人気のすごさは、60年代から70年代初頭にかけて繁栄を謳歌したマッスルカーやフルサイズステーションワゴンと比べてみるとよくわかる。各社とも高級車から汎用車までピックアップを幅広くラインアップし、ユーザーからは乗用車のように扱われていて趣味性も高い。ドレスアップも盛んで、カスタム品のキャンパーを始め、アフターマーケットのパーツも実に豊富に販売されている。

 こうしてアメリカの町には、キラキラに磨かれたものからクタクタに使い込まれたものまで、さまざまな個性豊かなピックアップが道を往来するという風景が出現するのである。




Vol.3に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年8月号 Vol.164(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1969年式 トヨタ ハイラックス (全3記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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