「あの時が一番つらかった」ダットサンファン同士の仲を超えた2人|アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方|3000kmの距離も何のその。クルマとネットが取り持つ縁 Vol.2

240Zは、実はベッキーさんがもともと一番好きなクルマだったそうだ。2人のチャットのきっかけであり、そして結婚プレゼントとなった72年式のZ。とはいえ、クラッチは重いし、ブレーキはやたらと強烈に利く、とても硬派なクルマだ。夏は40℃にもなるアリゾナだが、「エアコンよりもパワステが欲しいの」と、ベッキーさんは言っていた。

       
【3000kmの距離も何のその。クルマとネットが取り持つ縁 Vol.2】

 しかしグレッグさんは肉食系だった。ここであきらめてなるものかと、休みを取って自費で飛行機に乗り、顔も見ぬままに何百時間もチャットに費やした相手、ベッキーさんとの初対面を果たしたのは3月のことだった。ダットサンファン同士の仲を超えた2人は、会ってしまうと別れるのがつらく、別れるとまたすぐに会いたくなる。

「あの時が一番つらかった」

 とグレッグさんは振り返る。

 そして1カ月後に再会。一緒に日産のイベントへ参加した。この2度目のデートで「アリゾナへ来ないか」とプロポーズ。傍らにダットサンを置き、2人は人生をともに歩む決心をした。

 6月結婚。ネットを通じたわずか5カ月の恋愛劇だった。そして2人のチャットのきっかけとなったZは、手放すのをやめてレストアを仕上げ、ベッキーさんへの結婚プレゼントとなった。

オンラインクラブを引き継ぐ

 学生時代には心理学が専門だったというグレッグさんは、労働問題調査官としての本職を持つ。そして2人の仲を取り持ったカークラブサイト「NICOクラブ」も運営し、そこには多くの日産ファンが集まっている。

 NICO(ニッサン・インフィニティー・カー・オーナーズ)クラブは、00年にレックス・バークミアという人が趣味で始めたものだった。インターネットが普及してオンラインクラブが乱立していた中にあって、彼は一つのポリシーを持っていた。「技術的質問に対する回答には、必ずディーラー系ショップ現役メカニックのお墨付きを与える」ということ。この「質の高い情報」へのこだわりが、ネットで情報を求めていた日産ファンの共感を呼んだ。

 そのころ別の大手サイトのオンラインクラブに参加していたグレッグさんは、「日産という共通の情熱を持つ仲間が集まるネットコミュニティーに対して、その世話役をするというのが楽しそうだったし、またその将来性を信じました」と自ら管理人を引き受け、事実上このオンラインクラブを引き継いだ。02年の年末のことだった。

 どこよりも良いオンラインクラブにするために、サイトのデザインと運営方法、技術的・法的な問題解決などの専門家を会員の中から探し、ボランティアで運営チームに参加してもらった。こうして運営基盤が固まると、コンテンツは日産の全車種に及び、会員の年齢層も幅広くなり、サイト上の情報が多種多様になる。その様子がウェブ広告代理店の注意を引いた。そして今ではその広告がウェブサイト運営の大きな収入源となっている。

 現在、全世界で会員数は16万人弱。今でも1日当り80人増えているという巨大なオンラインクラブであるにもかかわらず、オフ会を通じて積極的に交流を図るフレンドリーな雰囲気は、一過性でなく生涯にわたる友人を見つける場にもなっている。商業的になりすぎず、あくまでも日産&ダットサンファンが作り、参加するインターネットコミュニティーなのだ。

Vol.3へ続く

ベッキーさんがB210のレストア経験を生かして、独力で仕上げた1967年式WRL411ダットサンSSSワゴンなど【写真5枚】

3000kmの距離も何のその。クルマとネットが取り持つ縁記事一覧(全3記事)


掲載:ノスタルジックヒーロー 2013年6月号 Vol.157(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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