柳田=バイオレット、星野=シルビアに続き、長谷見がスカイラインで参入! 巨大な空力パーツで武装した|スカイライン スーパーシルエット KDR30 Vol.1

レーシングスカイライン史上、唯一異端児として強烈な光彩を放つモデルがある。 スカイラインの皮をかぶったフォーミュラ、「スカイライン・スーパーシルエット」がそれだ。

       
【スカイライン スーパーシルエット KDR30 Vol.1】

1970年代の日本は、モータリゼーションとモータースポーツにとって耐乏の時代だったといえるだろう。新宿牛込柳町交差点の排ガスによる鉛汚染問題に始まり、オイルショックをはさんで「世界一厳しい」昭和53年排ガス規制を克服しなければならず、走りの性能に対する欲求を一切断ち切らなければいけなかったからだ。もちろん、多大な予算と人材の投入が要求されるメーカーのモータースポーツ活動も、自粛という形ながら、手控えることを強いられていた。

 それどころか、マイナス視点でとらえられがちなモータースポーツは、いたずらに金銭を浪費し、排ガスと騒音をバラまくだけの、反社会的行為と見なされることも少なくはなかった。

 しかし、具体的な規制値の発表時には達成不可能と思われていた昭和53年排ガス規制も、数年にわたる研究開発が成果を結び、1970年代終盤にはなんとかクリアできるまでになっていた。こうして排ガスの浄化という、非常に大きな社会使命を果たしたことで、自動車は再び走りの性能を追い求めることができる環境を手に入れたのである。

 直接的にいえば、性能解禁、モータースポーツ解禁ということで、とくに日陰を歩むようにして数年間を耐えてきたメーカー系のモータースポーツ部門にとっては、ここぞとばかりに鬱積を晴らすチャンスであった……。

 しかし、実際にはどのメーカーも、人材を排ガスの研究対策部門に奪われ、モータースポーツ部門は有名無実の存在となっていた。このことは「レースの日産」と異名をとった日産自動車でさえ例外ではなかったのである。

 日産もまた排ガス対策のため積極的なレース活動ができず、1970年代中後半はカスタマーサービス担当の宣伝3課・大森分室が、自社ユーザーの活動支援を行うだけで精いっぱいだった。ただ、このユーザー層には旧日産ワークス系のドライバーが率いるチームも含まれ、日産車によるレース活動はなんとか保たれていたのである。

 一方、日本のモータースポーツ界が雌伏を強いられていた1970年代後半は、世界的に眺めると、グループ6のスポーツプロトによるメイクス選手権が低迷する時期にあった。不人気の理由が車両規定にあると考えたFIA(国際自動車連盟)は、グループ5規定をシルエットフォーミュラ化し、これによるメイクス選手権の成立をはかろうとしたが、不発に終わっていた。追従するメーカーの数が少なかったのだ。

 しかし、メイクス選手権では見送られたシルエットフォーミュラのアイデアは、迫力あるレースシーンからしばらく遠ざかっていた日本のモータースポーツ界には、再起のための魅力あるカテゴリーとして映る。そして、前向きにその導入が進められることにった。

 なかでも、1970年代初頭からレーシングターボ(510ブルーバード)の基礎研究に取り組んできた日産にとっては、その後の710バイオレットやPA10バイオレットで積み重ねたノウハウも豊富にあった。それだけに、シルエットフォーミュラによる新たなカテゴリーの創設は、待ちわびたレースの到来となっていた。

 ちなみに、当時日産ワークスの流れをくんでレース活動を展開していた有力プライベーターは3チーム。セントラル20の柳田春人、「日本一速い男」といわれた星野一義、そして天才・長谷見昌弘で、彼らもまたインパクトのある新しいレースの登場を待ち望んでいたのだ。それだけにシルエットフォーミュラの導入は、魅力的で可能性にあふれたものとして映っていた。

 いうなれば、メーカーとエントラントの間に、強い需要と供給の関係が生じたわけだが、かつてのように「日産ワークス」という具体的な実動部隊はなかった。そのため、「量産車ベースのレーシングカーなら宣伝効果が見込める」という判断から、宣伝部が予算を持ち、特殊車両課がターボエンジンを開発し、これをプライベート3チームが走らせる、という構図が生まれていた。

 余談だが、こうした構図は組織系統が煩雑になり、レース活動には一元化した組織が必要との判断により、1984年にモータースポーツ専門の組織「ニスモ」が誕生することになった。

 1979年に始まるグループ5によるスーパーシルエットレースは、バイオレット(柳田)、シルビア(星野)の順で参戦を果たし、81年になって戦力の見直しが検討された段階で、新たな車両の製作が決定する。このきっかけとなったのが長谷見の参入で、宣伝効果も見越した結果、スカイラインを使用車種とすることが決まったものだ。

スカイライン スーパーシルエット KDR30 Vol.2へ続く


超大型のフロントリップスポイラー。車体の浮き上がりを抑えることだけに主眼が置かれたシルエットフォーミュラらしい空力パーツ。ターボパワーのすさまじさを物語る1デバイスだ。


FIAグループ5に準拠するシルエットフォーミュラとして企画され、1980年代初頭のサーキットを暴力的な加速力で駆け抜けた。その壮絶な姿にファンは思った。これこそ「史上最強のスカイライン」だと。


オリジナルのスカイライン(DR30)に対し、ボディの拡幅分は約300mm強。片側150mmとなるが、この分はすべてトレッドの拡大、タイヤのワイド化によるものである。


リアのダウンフォース対策は2重3重で手が打たれていた。リッドスポイラーに大型リアウイングを組み合わせ、これでなお不足とサブウイング(1984年筑波戦仕様)も追加。


搭載するエンジンはLZ20B型の後期仕様(2139cc)。装着タービンユニットはギャレット・エアリサーチ社製のT05B型。2Lの排気量に対しては大きすぎるタービンサイズだが、ひたすらピークパワーを求めていた当時の流れからは必然の選択肢。最終仕様では570ps/55.0kg-mのパワー、トルクを発生。大径タービンを使いピークパワーを狙った結果、パワーバンドは極端にせまくなり、6000rpmから8000rpm手前までの実質1700〜1800rpmぐらいが有効ゾーンだったという。


1983年 スカイライン スーパーシルエット(KDR30) 主要諸元
全長×全幅×全高(mm) 5065
ホイールベース(mm) 2615
トレッド前/後(mm) 1610/1650
重量(kg) 1005
エンジン形式 直列4気筒DOHC
エンジン型式 LZ20B
排気量(cc) 2139
ボア×ストローク(mm) 89.0×86.0
最高出力(ps/rpm) 570/7600
最大トルク(kgm/rpm) 55.0/6400
燃料供給システム ルーカスインジェクション+ブーストコントロール付きターボチャージャー ギャレット・エアリサーチ製T05B
クラッチ B&Bトリプルプレート
トランスミッション ダグナッシュ製 5速
ファイナルドライブ C200型LSD付
ステアリング形式 ラック&ピニオン
ブレーキF/R ロッキードCP2636+φ329mmディスク/
ロッキードCP2361+φ277mmディスク
サスペンションF/R ストラット/ウイッシュボーン
駆動方式 FR
ホイールF/R 11K×16/15K×19
タイヤF/R 270/590-16/350/700-19
燃料タンク 120L(安全燃料タンク)

掲載:ハチマルヒーロー vol.16 2011年 11月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Keniji Ichi/市 健治

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