日本の名車10台に選ばれてもおかしくない1台をデザインしたのは誰だ?|初代シルビア&A550Xをデザインした男 Vol.1

世界の一部モータージャーナリスト、デザイナー、エンジニアはデザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツ(日産契約アドバイザー)の呪縛からまだ逃れられずにいた!

 アメリカの「Automobile Quarterly誌」には「トヨタ2000GTをデザインしたのは1936年にアメリカに移住したドイツ系アメリカ人デザイナーだ」という記述があった。このニュースソースを筆者に差し出したのはトヨタ2000GTのデザイナー野崎だった。「こんなことが書いてあって困っているんだ」と、雑誌のコピーを見せて筆者に訴えたことがあった。

 その真相を筆者が確かめる機会は96年8月16日に訪れた。カリフォルニア州モントレー・ラグナセカ・レースウエイで開催された「第23回モントレー・ヒストリック・オートモビル・レース」のテーマは「BMW」だった。そのテーマ館にA・ゲルツの姿があった。テントには彼がデザインしたBMW507(V8・3168cc)が展示されていた。筆者はその1年前にシルビアをデザインしたとされる木村一男にインタビューを行っていたので、その話を確認する絶好のチャンスだった。

 A・ゲルツはBMW503やBMW507のデザインで名声を博した有名デザイナーだった。彼はどこの自動車会社からも契約が切れていた時期に日産へ売り込み、アドバイザー&コンサルタント契約をして、1963年5月に来日している。

 1963年3月に木村はシルビア(CSP310)のエクステリアのスケッチをすでに描いている。その2カ月後、A・ゲルツは若手の木村を指導することになった。

 A・ゲルツがアメリカのメディアに対して「シルビアとA550Xは自分がデザインした」と答えていたのは、「自分のような有名なデザイナーがやったと言うほうが宣伝になる」と考えたからではないだろうか。

 筆者がA・ゲルツにラグナセカで問いただした時は「キムラがシルビアとA550Xをデザインしたというならそうだろう」と確かに認めていた。彼はその時82歳の高齢だった。

 誰がデザイナーかを断定することは非常に難しい。多くの関係者に聞くと、その時の「印象が強かった人」がデザイナーになる可能性が高い。

 シルビアをデザインした5カ月後にA550Xも木村がデザインし、A・ゲルツが4分の1のクレイモデルを修正している。1963年には何度も来日し、A550Xのエクステリアをリファインしている。木村は「彼はシルビアよりA550Xのほうの仕事を多くをしました。浜松(ヤマハ)に3度も出かけて、安川さんや花川均さんとも打ち合わせしていました」と語っている。

 A・ゲルツの印象がよほど強烈だったらしく、安川も「A550XはA・ゲルツの作だった気がします」と筆者に答えている。また、「社報ヤマハ201号」には「A550Xは日産嘱託のドイツ系アメリカ人デザイナーが担当した」と書かれている。

 1995年8月、初めて木村にインタビューした筆者はその後も真相を確かめるべく何度か木村に会い、A・ゲルツにもラグナセカで会った結果「シルビアとA550Xは木村がデザインし、A・ゲルツがアドバイス(クレイモデルを修正)したというのが事実だろう」と推測する。


1996年8月16日にA・ゲルツ(当時82歳)にラグナセカでインタビュー。「キムラという若いデザイナーを教えたことがあるよ。彼がシルビア、A550Xをデザインしたと言うならそうだろう」と話していた。


日産A48Xのモデルを計測する木村。実はこの写真は広報パンフレットのためあとで撮影されたもの。どことなくグリルは310ブルーバードに似ている。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年10月号 Vol.153(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & Photo : Kohju Tsuji/辻 好樹

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