ニッポン旧車への情熱を諦めきれなかったハコスカオーナーは、勤めていた会社をやめて、自らレストアショップをオープンしてしまった|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方

仕事を辞めて飛び込んだハコスカオーナーの情熱とビジネス

これは驚いた。ニッポン旧車への情熱を諦めきれなかったハコスカオーナーは勤めていた銀行を辞め、自らレストアショップを開いた。ハコスカの足まわり改造を試みるも不満足に終わった経験、絶版パーツの入手困難さ、旧車を維持する苦労。これらの問題を解決するビジネスを始めると、思いもよらぬ需要があったのだ。

【1941年式 キャデラック・シリーズ61】

【画像12枚】ニッポン旧車への情熱を諦めきれなかったハコスカオーナーは、勤めていた会社をやめて、自らレストアショップをオープンさせてしまった

ハコスカというクルマの存在がアメリカで広く一般に認識されるようになる直前、早々にハコスカを手に入れたファンがいた。サンフランシスコ近郊に住むアイバン・ジャラミーロさん。ノスタルジックヒーローVol.146では、もう1台の愛車だったケンメリも併せて紹介してくれた。あれから9年。再びジャラミーロさんを訪ねると、当時勤めていた銀行はすでに辞め、自分の旧車ショップを始めていた。

「このショップ『ビンテージ・スピリット』を始めた当初は、日本旧車のレストアを主眼にしました。日本からキットを取り寄せてハコトラ(ハコスカフェイスのサニートラック)を作ったりとか。そんな成果を見た人たちから、日本旧車以外の修理を頼まれるようになったんです」

これはよくありがちな展開である。収入を得るため、頼まれるままに、ポルシェやフェラーリなどヨーロッパ車の修理をしばらくの間やり続けた。

「やっと日本旧車へ戻ってきました」

今の素直な気持ちをそう表現したジャラミーロさん。日本車への情熱が言葉と表情ににじみ出ていた。その間も自分のハコスカは走らせ続けていた。

「ある時アジャスタブルのサスペンションを入れたのですが、ハンドリングが全く気に入らなかった。改良するのに部品を外注しても納期ばかりかかる。それなら、と自分ですべてやることにしたんです。調べたら、日本ではS13系のサスを流用しているようだったので、アメリカで改造のできる業者を探しました。それを進めて、ダットサンの各旧車用を作ってアメリカや日本、それ以外の国のオーナーにも提供したんです」

絶版となったパーツをレストア用に供給するというビジネスアイデアを元々持っていました、と語る。


>>ノスタルジックヒーローVol.146で披露してくれたハコスカは、ジャッキスタンドに載せられたままの状態だった。今はビジネスが忙しいが、いつでも走るようにできるとの自信からだろうか。

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