16歳でカーデザインの世界に飛び込んで以降、世界中の数々の名車のデザインを手掛けてきた鬼才ジョバンニ・ミケロッティ。日本車デザインの黎明期に彼が残した先進的なスタイリングのクルマたちは、後の日本の自動車デザインに大きな影響を与えたのだ。
【カーデザインの巨人たち① Vol.3】
実はミケロッティと日野の協力関係は、コンテッサ1300の開発以前にまでさかのぼる。
61年、日本の技術力を高く評価していたミケロッティは、コンテッサ900をベースにしたスポーツモデルを日野に提案。ミケロッティの熱意に推されるかたちで開発がスタートする。
エンジンチューニングはナルディの創業者であるエンリコ・ナルディが担当することに決定。デザインはもちろんミケロッティの案を全面的に採用。世界的に有名な豪華タッグで開発が進められることとなった。
このスポーツモデルには、コンテッサ900スプリントという名が与えられ、62年10月に開催されたトリノショーにコンセプトモデルとして展示された。
その後、63年には販売に向けた計画がスタートし、その年の10月に開催された第10回全日本自動車ショーに出展。国内でも反響を得る事となった。
【画像14枚】「イタリアの鬼才」ジョバンニ・ミケロッティが生み出した美しいデザインのクルマたち>>「BODY BY G.MICHELOTTI」のエンブレムは、ミケロッティのデザインであることを示している。
>>両サイドドア後方に設置されたエアスクープも、デザインのアクセントに。
【4】へ続く初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
カーデザインの巨人たち①(全5記事)