脱兎を表すウサギの姿がオーナメントの高級車|1938年式 ダットサン 17型ロードスター【1】

基本的に15型以降共通デザインのフロントグリルだが、中央に太い支柱が入るのが17型の特徴。クランク始動のときに歪むのを防止する対策。ヘッドライトは非オリジナル

       
日本最初の本格的量産車両であるダットサンの中でも暗く辛い敗戦を経験した日本ではなく、世界の列強と肩を並べた戦前に生まれた高級車であるロードスター。今回はそんな時代のクルマとともに華やかだった日本に思いをはせてみたい。

【林コレクション 1938年式 ダットサン17型ロードスター vol.1】

【画像34枚】戦前の姿を現代に伝えてくれるき貴重なロードスター。グリル上のオーナメントは脱兎を表すウサギの姿だ

日本の自動車産業の歴史を語るうえで、ダットサンは重要な1台である。

明治時代に海外から日本に自動車が伝来して以来、幾多の職工が国産車の製作に挑戦をしてきた。まだ自動車というものがどんな物であるか市井の人々には理解されていなかった時代に、1904年の山羽式蒸気バス、1907年のタクリー号といった初期の国産自動車を作り上げた先駆者たちの苦労は想像に余りある。

しかし、これらは1台限りや、製作したとしても数台といった少数生産であり、一般人が手にできるようなものではなかった。

橋本増治郎によりダット自動車商会の前身となる快進社が創立されたのが1911年。1914年には最初の脱兎号が生み出されている。このとき初めて車名にDATの名が使われたのだが、これは橋本の協力者である田健治郎、青山祿郎、竹内明太郎の頭文字をつなげたものというのは有名な話だ。
ダットの小型車としてダットソンが作られたのが1931年。ソンとは息子の意味だが、その後すぐ、ソンが損とつながるという理由からダットサンへと改名されている。

生産車1号となるダットサン10型の排気量は495cc。このときはまだ排気量500cc以下の小型車は無免許で乗ることができた。すでに日本に輸入されていたオースチンセブン(1922~1939年生産)の排気量が747ccであり、車格も競合することから、無免許で乗れることを優位性としてアピールしたが、乗員は運転手のみ1名に限られ利便性が低く、1933年に小型車規格が750cc以下、乗員4名までと改められると、ダットサンもすぐ748ccへと排気量を拡大している。


>>マルーン色は後からの塗装のようで、うっすらと透けて見える青みがかったライトグレーが本来の塗色のようだ。1937年に勃発した支那事変から太平洋戦争に至るこの時期、派手な塗装は世間的に許されず、17型セダンは黒または紺の塗色がほとんどだった。



>>現在履いているタイヤは農機用。戦後ダットサンを走らせるマニアには定番だった。
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【2】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年12月号 Vol.196
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1938年式 ダットサン17型ロードスター(全5記事

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text:Ryousuke Igarashi/五十嵐竜介  photo:Junichi Okumura/奥村純一 cooperation:Munehisa Mishige/三重宗久

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