舗装なんてされていない! 砂埃の舞う未舗装の道路で活躍した撒水車|1934年式 日本フォード 重力式撒水自動車【3】

1934年式 日本フォード 重力式撒水自動車のガラスも当時のまま残っており、希少。ワイパーは本来はキャブレターからの負圧で動くバキューム式。戦後、ほとんどが電動モーター式に換えられている。

【2】から続く

米国フォードの部品を参考にして初めて純国産トラックを製作し、日本の自動車産業の発展の要因となった米国フォードだったが、1940年に日米関係の悪化により操業停止となってしまった。ところで、「撒水車(または散水車)」と耳にしたことがあるだろうか。この記事では撒水車の起源にもふれている!

【ハヤシコレクション 米国フォードの痕跡を残す最後の1台 1934年式 日本フォード 重力式撒水自動車 vol.3】

 日本でノックダウン生産されたフォードV8トラックで特徴的なのが、キャビン後方に取り付けられた大型タンク。これは中に水を溜め、後方のノズルから水を撒く散水装備である。

 散水車のはじまりは1918年、皇居前の広場の水やりを自動車でやりたいという宮内省の計画から、梁瀬商会および東京瓦斯電気工業に製作が依頼され、1年後の1919年に納品された車両と言われている。

 現在のように道路舗装が普及していない時代、砂埃の対策として道路や広場に手作業で水を撒く作業は大変な労力であり、それを自動車で行うことができるというのは画期的であった。

 なぜ戦前のトラックが太平洋戦争で供出されずに生き残ったのだろうか。皇居で使われていた散水車との説もあるが、当時皇室で使われたものが民間に降りてくる可能性は薄い。

 このフォードトラックのキャビン内側には「フォード特約販売店ISAMUSHOKO八王子」というプレートを見つけることができた。これを元に調べていくと、たしかに八王子駅前に一三六商行という自動車修理会社があったことが分かる。ちなみにこの会社の代表である豊泉信太郎は、八王子駅から高尾山までの乗合自動車を運行していた高尾自動車の代表でもあり、高尾自動車は1963年、西東京バスに吸収合併され今日に至っている。

 多摩御陵から程近い一三六商行で販売された1台のフォード散水車。それがどのような経緯をたどったのか興味は尽きない。

 1台のクルマのルーツをたどっていくと、日本の自動車の歴史が見えてくる。今後もオーナーの珠玉のコレクションを紹介しながら、その轍をたどって行きたいと思う。

【画像28枚】今では「散水車」という言葉を耳にする方が珍しい。現在のように道路整備されていない当時にとっては重要な自動車だったそのディテール



>>右側に付くステアリングが国内生産されていた横浜製の証。運転席は戦前の大衆車としては必要十分な機能が付属されており、デザイン的にも洗練されている。



>>運転席正面のパネルには左から圧力計、スピードメーター、電流計の3つが並び、写真では見にくいがその右下に水温計が吊り下げられるように装着されている。



>>助手席側レバーが散水装置の操作レバー。欠損部品はなく、この車両自体が当時の構造を伝える貴重な資料である。



>>アクセル、ブレーキ、クラッチの各ペダル。



>>シートの座面を取り外すと現れるガソリンタンク。給油口が助手席側に見える。


【1】【2】から続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1934年式日本フォード重力式撒水自動車(全3記事

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