快走を続けるAE86の前に現れた強敵。ホンダの送り込んだ刺客|量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの時代【3-2】

JTC2シーズン目の86年。接近戦を演じているのは無限シビックとアドバンカローラFX。この2車はその後のJTCに大きな影響を与える存在となっていく

【国内モータースポーツの隆盛 第12回 量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの時代[3]vol.2】

 この優位性は、JTCの開幕となる85年の菅生戦で如実に反映された。初戦ということもあり参加台数は18台と少なめだったが、1600㏄以下の1クラス(当時)が12台と総数の3分の2を占め、そのうち半数以上の7台がAE86だった。

 AE86は、予選タイムでポールBMW635のわずか1秒落ち、決勝は2クラスのシルビア、3クラスのスカイラインRSターボに先着するワン・ツー・フィニッシュと、完成されたグループAツーリングカーとして戦闘力の高さを示していた。

 初戦をトラブルで取りこぼしていたBMW635は、第2戦筑波から順調に走り始め、実力どおりに1位チェッカーを積み重ねていくが、AE86はこれを追い、常に総合3位以内に食い込む健闘ぶりを見せていた。

 このAE86勢のトップコンテンダーとして活躍したのが、新設のトランピオチームだった。グループAレースの創設を機に、レースへの本格関与を図った東洋タイヤが、当時売り出し中のスポーツタイヤブランド「トランピオ」の名で発足させたチームだった。

 素性のよさを身上に快走を続けるAE86勢の前に強敵が現れたのは、第3戦西日本戦(後に美祢サーキット、現マツダテストコース)でのことだった。

 ホンダが無限経由で送り込んできたEATシビックだった。トヨタ4A‐G型より強力と言われたZC型DOHCを搭載し、中嶋悟/中子修という破格のコンビによる参戦だった。

 このシビックは、西日本でポールポジションを獲得すると(決勝リタイア)、次戦の鈴鹿でポール・トゥ・ウインの完勝劇を披露。めまぐるしく天候が変わる条件下で、FFの駆動方式、中嶋/中子の傑出したドライバー技量に支えられての快走だった。

【画像16枚】AE86が快走を続ける中、ホンダが送り込んだのはEATシビックだった


>>カローラ勢がひしめく1クラスに単騎切り込みをかけた無限シビック。中嶋悟/中子修組による鈴鹿戦のポール・トゥ・ウインは鮮烈かつ衝撃的だった。


>>無限シビックのポテンシャルに着目したエントラントは86年にシビックを選択。トランピオもそうしたチームのひとつで津々見友彦/伊東薫組はタイトルを獲得。



【3】へ続く


初出:ハチマルヒーロー 2016年11月号 Vol.38
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

国内モータースポーツの隆盛 第12回 量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの時代 3(全4記事)

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text/photo:Akihiko Ouchi / 大内明彦

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