【ハチマル世代のクロカン4WD】 クロカン4WDからSUVへ変貌 大きく羽ばたいたハチマル4WD車のヒストリー|憧憬のハチマルRV

クロカン4WDからSUVへ。ハチマル4WD車の歴史

       
SUV全盛だった80-90年代

【 憧憬のハチマルRV】

バブル絶頂の80年代後半、スキーブームの到来とともに脚光を浴びたクロカン4WD。RV(レジャービークル)と総称されたように、どこへでも遊びに行けるパートナーとして、瞬く間に人気車となった。今回はRVブームの中心メーカーだったトヨタ、三菱、いすゞから、異色の3台を紹介。


>>【画像19枚】ハチマル4WD車の歴史のトピックとなる車両たちなど


1988年式 トヨタ ランドクルーザー 北米仕様 標準ルーフ 4.0Lガソリン


ランクルの地位を確立したロクマル
日本に戻ってきた希少な北米仕様

クラウンと並んで国産車最長の歴史を誇るランドクルーザー。始まりは1951年にまでさかのぼる。この年、ランクルの始祖となるジープBJ(試作車)が誕生した。1953年に本格生産をスタートして1954年に車名をランドクルーザーに改名してから、1955年にランクル20、1960年にランクル40、1967年にランクル55へとその血統を受け継いでいく。もともとジープBJは警察予備隊(現・陸上自衛隊)に納入するために開発された車両だけあり、道なき道を行くヘビーデューティー・オフローダーとして圧倒的な走破性を誇っていた。そのDNAは後の世代にも受け継がれ、20では本家ウィリス・ジープに対抗して北米市場でも評価され、続く40も国内外でその実力の高さを知らしめている。



1998年式 三菱 パジェロ エボリューション


圧倒的な走破力は異次元の領域
すべてはパリ・ダカを制するため

パジェロと切っても切れないのが「パリ・ダカールラリー」だ。三菱は、世界で最も過酷と言われるこのクロスカントリーラリーにパジェロで参戦。デビュー年となった1983年に、いきなり市販車無改造部門で優勝を果たし(このときのドライバーは篠塚建次郎で日本人初の快挙を成し遂げた)、1997年までに4度の総合優勝を収めている。そのパリ・ダカに転機が訪れたのが1997年。その年からレギュレーションが変更され、競技専用モデルの参戦が禁止された。つまり、市販車であることが前提となったのだ。そこで三菱が開発したのがパジェロエボリューションで、いわゆるホモロゲーション取得のためのモデルなのである。



1999年式 いすゞ ビークロス 175リミテッドエディション


ショーカーから生まれた異端児
伝説のクロスオーバーSUV

1993年、第30回東京モーターショーで規格外の注目を集めたコンセプトカーがあった。それが「ヴィークロス」。それまでのクロカン4WDの主流だった無骨でタフなイメージは一切なく、エクステリアは滑らかな曲面を多用したスタイリッシュなデザイン。スペシャリティーカーと4WDのクロスオーバーという発想は斬新で、一般客だけでなく目の肥えた自動車業界の関係者からも絶賛の嵐。「このまますぐに市販してほしい」という声が噴出したのは有名な話だ。それから約3年半後の1997年3月、ついに市販モデルが発表された。名前は「ビークロス」。



ハチマル世代のクロカン4WD


クロカン4WDからSUVへ変貌
大きく羽ばたいたハチマル4WD車

メカニズムや技術、多様性など、すべての面においてクルマが飛躍的に進化・進歩した1980年代。それはセダンやスポーティーカーだけでなく、4WD車も同じだった。70年代は、オーバーフェンダーに大きなタイヤが特徴の無骨なヘビーデューティーなクロスカントリー(クロカン)4WDが主流だったが、80年代に入るとオーバーフェンダーがないスッキリとしたデザインや、ロングボディのステーションワゴンスタイルを採用。その傾向は室内も同様で、「道具」としてのクルマから乗用車らしさを取り入れていく。


関連記事:憧憬のハチマルRV

関連記事:ビークロス

RECOMMENDED

RELATED

RANKING