無敵を誇ったスカイラインは、トヨタ1600GTに完敗。新たなエンジンが必要となった|1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R Vol.2

2ドアHTのようにオーバーフェンダーやリアウイングを持たないシンプルな外観こそ、「羊の皮を被った狼」の名にふさわしい。

       
【1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R Vol.2】

【1】から続く

 さて、ここに以降のシーンを大きく動かした名車スカイラインGT‐Rが誕生することになったが、その生い立ちを語るうえで、レースの世界の話にも触れておかねばならない。スカイラインのレースにおける伝説は、1964年開催の第2回日本GPにおいて、G7型エンジンを強引に詰め込んだスカイラインGT(S54A‐Ⅰ)が、式場壮吉の乗るポルシェ904を追い詰め、クラス2~6位を占めたことから始まる。続く1966年の第3回、1967年の第4回日本GPもスカイラインがGTⅡクラスを制し、サーキットに合併による混乱がおよぶことはなかった。

 しかし、事件は1968年の第5回日本GPで起きた。この年、無敵を誇ったスカイラインは、トヨタ1600GTに完敗。日産は、新たなるレース用マシンとエンジンの必要に迫られたのだ。そこでプリンスの時代から開発が進められてきたS74型ボディに、プリンス時代に作られたレーシングカーR380に搭載されたGR8型エンジンのDNAを受け継ぐS20型エンジンを載せる計画を進行。それを同年秋に行われた東京モーターショーに、スカイラインGTレーシング仕様として出品し、1969年のレースに間に合わせるために、1969年2月の市販化へとこぎつけた。

 国産初の4バルブDOHC、3連のソレックス40PHHキャブレター、アルミ合金製ヘッドに7ベアリングクランク、ステンレス製タコ足、フルトランジスタ化などで武装されたスカイラインGT‐Rの前に敵はなく、デビュー戦となった1969年5月のJAF GPこそ薄氷を踏む勝利だったものの、以後に続く快進撃はあまりにも有名だ。

>>【画像19枚】GT-Rの心臓部、S20型エンジン。ファンネル仕様とするオーナーが多い中、このように純正エアクリーナーを残す姿は実に新鮮だ。グレーの色から推察できるように、前オーナーの元でK4型へ交換されていたヘッドなど



ステアリングとシフトノブはウッドで、インパネなどは木目調でコーディネートされた室内を見ると、いかにGT-Rが丁寧に作られたクルマであるかがわかる。





左側のタコメーターにはイエローゾーンがなく、7500rpmからレッドゾーンが始まる。





電流計や燃料計などが並ぶセンターコンソール。右上に油温と油圧計を追加装備し、コンディションを管理する。




1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R(PGC10)
SPECIFICATION 諸元
全長 4395mm
全幅 1610mm
全高 1385mm
ホイールベース 2640mm
トレッド前/後 1370 / 1365mm
最低地上高 160mm
室内長 1775mm
室内幅 1300mm
室内高 1120mm
車両重量 1120kg
乗車定員 5名
登坂能力sinθ 0.490
最小回転半径 5.3m
エンジン型式 S20型
エンジン種類 水冷直列6気筒DOHC
総排気量 1989cc
ボア×ストローク 82.0×62.8mm
圧縮比 9.5:1
最高出力 160ps / 7000rpm
最大トルク 18.0kg-m / 5600rpm
変速比 1速 2.957 / 2速 1.853 / 3速 1.311 / 4速 1.000 / 5速 (OD)0.852 / 後退 2.922
最終減速比 4.444
燃料タンク容量 100L
ステアリング形式 リサーキュレーティング・ボール(ギア比18.5)
サスペンション前/後 ストラット・コイル / セミトレーリングアーム・コイル
ブレーキ前/後 ディスク / リーディングトレーリング
タイヤ前後とも 6.45H14-4PR
発売当時価格 150万円


【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年6月号 Vol.181
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R(全3記事)

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【1】から続く

text : AKIO SATO/佐藤昭夫 photo : TAKASHI AKAMATSU/赤松 孝

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