【2】から続く【最強の称号「GT-R」誕生からの半世紀 vol.3】
GT-Rを語るには、S54Bスカイライン2000GTの存在抜きには語れない。また、反対にGT-Rの存在が影響を与えた物も少なくない。スカイライン2000GT-Rがどのような存在で、どれほど多くのメーカーやクルマ、そして人々に影響していったのかを見ていこう。
日産は孤高の存在であるGT-Rを宣伝に利用し、サーキットでの活躍を大々的に伝えた。スカイラインはイメージアップに成功し、販売を大きく伸ばしている。4気筒モデルでも運転して楽しいクルマだったし、対話できるクルマだったから、ユーザーの満足度はすこぶる高かった。次は6気筒の2000GTに買い替えを、と意気込むファンも増えたのである。
また、GT-Rの登場と成功は、ライバルメーカーのエンジニアを刺激し、クルマづくりを変えた。GT-Rという超弩級のスポーツモデルを打ち負かすために、刺客を送り込んだのである。トヨタはマークII 1900GSSやセリカを、マツダはロータリークーペやカペラをサーキットに放った。
打倒GT-Rを掲げたことにより、日本のクルマづくりのレベルは飛躍的に引き上げられている。エンジンやサスペンションだけでなく、空力性能や軽量化、ボディ剛性などの技術も一気に進んだ。
70年代半ばを前に排ガス規制が厳しくなり、GT-Rは2代限りで姿を消した。が、生産を終了したことによって次のジェネレーションのGT-Rを期待するファンが増えたし、幻のGT-Rがスカイライン人気を支え続けたのである。
今も熱い信奉者が多いのは、ハコスカのGT-Rがあったからだ。スカイラインをけなす人はいても、GT-Rを悪様にののしる人は少ない。日本の自動車界にGT-Rが与えた影響は計り知れないのである。日本を支えた稀代の名車と言ってよいだろう。
>>【画像9枚】GT-Rはライバルメーカーのエンジニアをも刺激し、日本のクルマづくりを変えた。>>あこがれの対象となっていたスカイラインGT-R
>>勝つために開発され、送り出されたスカイラインGT-Rは、レースやラリーで高い戦闘力を発揮できるように最初からチューニングパーツをスポーツオプションとして用意し、専用カタログも作られた。サスペンションやエンジンのパーツはもちろん、視野が広いワイドミラーなどもある。
初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 Vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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