【1】から続くアメリカの小さな田舎町に住んでいるオーナーは、小さい時から親の影響でクルマに接していた。そして初めて手に入れたクルマが日本旧車で、それから日本旧車にはまり、最終的に一番の本命車はサバンナことRX-3SPであった。
【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第51回 カリフォルニアの青空の下を駆けるマツダ・ロータリー vol.2】
北米でも花開いたロータリー搭載車 1967年コスモスポーツ発売で、夢のエンジンと言われたバンケルエンジンの市販化を成し遂げたマツダはそれを「ロータリーエンジン」と称し、市販車へと展開した。手始めはR100(日本名ファミリア、68年)とR130(ルーチェ、69年)で、ここで後輪駆動との整合性の高さを見極めた。以降RX-2(カペラ、70年)ではレシプロエンジン車を同時発売。71年RX-3では新たな車名「サバンナ」を導入、レシプロエンジン車にはグランドファミリアと別名を与えた。72年発売のRX-4(ルーチェ)ではレシプロ車の発売を遅らせている。
RX-3はスポーツ性を強調した車種だった。マイナーチェンジに合わせた北米での区分けは、シリーズ1(71〜73年)が日本国内前期型に相当するものの、与えられたエンジンは10A型ではなく12A型だった。後期型は意匠変更に伴いシリーズ2(73〜76年)と3(76〜78年)と区別して扱われることが多い。76年登場のRX-3SPはシリーズ3に設定されたことになるが、今日ファンの間ではRX-3からRX-7への切り替えのため残余部品の処分に入ったものだったと考えられている。ダッシュボードのセンターピースやテールライトは808(グランドファミリア)からの流用。リアクオーターウインドーは固定式となりメッキパーツの使用は最小限で、「SP」を示すバッジは車体後方右のみにつくなど、コストダウンとも受け取れる変更が加えられた。アフターマーケットパーツの採用ともみなせるエアロパーツやステッカー類はすべてオプション設定。さらには、これらオプションが日本で取り付けられた個体もあれば、現地ディーラーで取り付けられた個体もあったと伝えられている。そんな特性上、レースに使われた個体が多く、結果現存数は少ない。
ロータリーエンジンはRX-3のコンセプトを突き詰めた専用車種RX-7へと引き継がれた。日本名で「サバンナ」の名を継いだRX-7。初期型は車台番号に応じてSAまたはFBと呼称される。北米ではやはりシリーズ1から3と分類されることが多く、シリーズ3が日本の後期型と同期する。
【画像13枚】「Mazda RX-3SP」のバッジは右側リアにだけオリジナルで装着された。オーナーが所有しているRX-3SPのエンジンは、12A型ではなく13B型に置換してあった。トランク内には不要なものを入れずきれいに保っている。スペアタイヤや車載工具などはオリジナルのまま残っていた。22年前に施した塗装は現在でもピカピカ>>エンジンは13B型に換装してあった。奇麗に取りまとめられた電気配線だけでなく、キャブレター固定用のステイなども自らアルミ素材から加工するなど、自作品をたっぷり使ったエンジンルームだ。
>>エンケイのホイールは「少しやつれた感じがいい」とお気に入り。SPであることを示す「Mazda RX-3SP」のバッジは右側リアにだけオリジナルで装着されていた。「当時マツダUSAのドッグで働いていたという人に聞いたんですが、緑色の個体にもSPのオプションを装着したことがあるって言うんです。でもSPには緑色は設定されていなかったんですよ」。現場では在庫部品を積極的に取り付けていた、ということなのだろうか。
【3】へ続く。 アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第51回(全3記事)初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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