【1】から続く今回は趣向を変えて、いつもの「アメリカ発」ではなく「沖縄・石垣島発」の特別編をお届けしよう。カリフォルニア在住の筆者・増井久志さんが、2017年夏に石垣島を訪れた。日本中どこにでも旧車好きはいるもの。地元のオーナーとコンタクトが取れたことで、離島での旧車ライフの現実について、つぶさに話を聞くことができた。そのリポートを紹介する。
【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第41回 沖縄・石垣島発 特別編 Vol.2】
沖縄のたどってきた複雑な歴史は誰もが知るところ。いにしえには独立した海洋王国を築き、明治維新を機に日本の一部となるも、太平洋戦争の終了をもってアメリカの統治下に置かれた。1945年、今から1972年前の夏のことだ。この時から石垣島もアメリカになったのだった。
統治したアメリカ政府は左側通行だった沖縄の道路を、すべて右側通行へと変更した。1970年代にかけて日本製の左ハンドル車が沖縄へ「輸出」され、道路の右側を走っていたのだ。そんな車両の現存数は少なくなったが、それでもハコスカ、ベレット、ヨタハチなどが各地でその姿を見せている。
そして1972年、念願だった沖縄の日本復帰が実現する。日本の自動車産業が元気を増していた時代だ。沖縄で流通する通貨はアメリカドルから日本円へと変わった。が、クルマのたくさん走る道路を左側通行へ変更したくても一朝一夕にというわけにはいかず、右側通行が続いた。
>> 【画像14枚】「ミクニよりもウエーバーのほうが好きなんで」と説明されたハコスカ。ボンネットの下にはL型エンジンに寄り添ってφ50mmのウエーバー製ツーバレルキャブレターが3連で収まっていた。見慣れたミクニソレックスと比べて、丸っこいベルマウスの形状が愛らしく感じられた 国際的に「1国1交通規則」という合意がある。このため沖縄県は交通ルールの変更に迫られた。中央政府との事務レベル調整では困難が続いたが沖縄県はそれを乗り越え、迎えた1978年7月30日早朝。通行方式の変更が一斉に行われた。この時、まさに一瞬にして沖縄の道路が左側通行に戻ったのである。
その様子は沖縄県土木部が作成した「沖縄730:道の記録」として映像で残されている。まさに旧車の時代に合致したこの記録は貴重な映像であるだけでなく、旧車ファンには見ているだけで実に楽しい映像だ。左ハンドルの日本旧車がごく普通に日本の道路を走っていたことに感銘を受ける。
石垣島は八重山諸島に属する、沖縄の中でも南のほうにある小さな島。
「あのころはクルマもまだ少なかったし、信号もひとつくらいしかなかった(*)。だから(通行方式の変更に関して)混乱とかはなかったと思う。朝起きたら変わっていた、そのくらいの記憶」
当時の様子を知る島の人が39年前の朝を振り返った。
>> もともとはモトクロス好きのバイクショップ「ウィリー」店長の自慢のバイク、見た目にとても小さな「カワサキZ750」。2008年式ホンダ・エイプ100をベース車として外見を改造した車両だ。「10年前に友人に頼まれてフレームからエンジンからオークションで個々に部品を集めてZ400FX 2型を作ったんですが」とバイクショップ「ウィリー」店長。その経験からこの車両の改造を思いついたのだそうだ。タンクは成型カバーをつけ、細いタイヤを履いて旧車の雰囲気を出した。
>> 今年になって本島で見つけて即決購入したという1982年式ヤマハRZ250は、当時バイク乗りの間で一世風靡した250ccツーストロークエンジンのスポーツバイクだ。高校時代に同型に乗っていたというオーナーは、卒業と同時に東京へ。留守を託された弟が自室に飾っていたものの、いつの間にか無断でスズキGSXと交換してしまった。「それ以来ずーっと探していた。ほかにも乗ってみたけど、フィーリングが違う。RZはピッタリくる」とヤマハRZ250オーナー。
【3】に続く初出:ノスタルジックヒーロー 2018年2月号 Vol.185
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 第41回(全3記事)シリーズ: ニッポン旧車の楽しみ方 関連記事:沖縄 【1】から続く