日産、正確にはプリンス/日産とポルシェは、日本のモーターレーシング史において、因縁浅からぬ関係で推移してきた事実を持っている。また日産にとってのポルシェは、ライバルであると同時に手本とする先達でもあった。今回は、その発端となったスカイラインGT対ポルシェ904 の鈴鹿対決を手始めに、両軍のレーシング対決を時系列に沿って紹介していこう。
【特集:日産vsポルシェ 日産R382 vs ポルシェ917 vol.1】
グループ7カーの参戦を可能にしたことで、1968年日本グランプリの内容は過去の日本グランプリから一変。大排気量、高出力至上主義となり、中間排気量以下のマシンを排除する結果となってしまった。
Gr.7カー2年目となる1969年日本グランプリの参加車両を見れば明らかだが、日産、トヨタが6リッター、5リッター級のDOHCエンジンを作り上げてきたことで、勝利の権利が限定されてしまったのである。
本来どこにでもあるV8エンジンを利用して、開発に手間のかからないオープン2シーターシャシーに搭載し、廉価に大パワー、大トルクの醍醐味を楽しもうと北米大陸で始まったレースカテゴリがグループ7である。
一方、ヨーロッパは北米と逆の状況で、効率を追求した車両造りが主体となり、排気量は小さくとも高性能メカニズムの駆使により、スピードを争うレースが歴史的に展開されてきた。
言ってみれば、量のアメリカ型と質のヨーロッパ型に分けられる内容の違いで、それぞれうまくすみ分けができていた。ところが、アメリカ型の量とヨーロッパ型の質を組み合わせたことで、日本グランプリがこの不文律を破ってしまったのである。
6リッターというCAN‐AM級に匹敵する排気量に高効率高出力性の4バルブDOHC+マルチシリンダーを組み合わせたR382は、5リッターのグループ4スポーツ、7リッターのCAN‐AMカーでは歯の立たない存在へと上り詰めていた。保てば勝って当然、そんな存在のR382に、態勢不十分、準備不十分のポルシェ917が、タイム的に互角の勝負を挑んだことが驚きだった。
【画像8枚】「勝って当然」の存在だったR382。対して準備不十分であったポルシェ917であったが、蓋を開けてみれば互角の勝負だった>>ウイングレスのグループ7カーとしてきれいなフォルムのまとまりを見せるR382。空力効果は十分得られたようだが、69年末にウイング装着車のテストも行っていた。
>>後のグループCカー、956/962にも見られたル・マンのロングテール仕様は、実は906の時代に始まっている。空力に対して積極的な取り組みを見せたのがポルシェだった。
【2】へ続く初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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