【1】から続く2年に1度のインターバルで開催される「ル・マン・クラシック」が、2018年も7月7〜8日にかけ、ル・マン24時間レースと同じサルト・サーキットで開催された。文字どおり、かつてル・マンを走ったマシンによるヒストリックカーレースである。その一部始終をテーマに沿って紹介する。
【2018イベント振り返り ル・マン・クラシック2018 vol.2】
この壮大な規模のイベントを、どう紹介すべきか検討してみたのだが、すべてについて触れるのは到底不可能。それよりも、ひとつテーマを決めたほうが分かりやすいのではないかと判断して、ル・マン最多の19勝、日本のサーキットフィールドでもなじみ深いポルシェをテーマメーカー(車両)として取り上げてみることにした。
ポルシェと日本のモータースポーツの関係は、ノスタルジックヒーロー189号の特集でもお伝えしたように、第2回日本グランプリのポルシェ904がその発端となっている。正確には、第1回日本グランプリに参戦したフシュケ・フォン・ハンシュタインの356カレラ2が皮切りとなるのだが、認知度、インパクト、与えた影響という意味では、やはり904ということになってしまう。
904は、ル・マン・クラシックに当てはめるとグリッド4の時代区分となる。そして、続くグリッド5に、906や910といったモデルが組み入れられる。1960年代中後半の時代で、日本で言えば第一期のモータースポーツ最盛期にあたる時代だ。
これら一連のポルシェは、いずれも2Lモデルという共通点があり、ポルシェAG自体が成長過程にある時代のレーシングスポーツでもあった。それだけに67年初頭には、新鋭2Lプロトとして910を送り出したポルシェが、翌年初頭には907を経て3Lプロトの908に、さらに1年を経た1969年初頭には4.5Lスポーツの917を繰り出すまでに急成長。
わずか2年の間に4モデル、それも2L 6気筒から4.5L 12気筒の規模にまでスケールアップ。しかも、グループ4スポーツは、生産台数の規定がないグループ6に対し、年産25台(1969年)の制約も設けられていた。
911が北米市場で成功し、急速に規模を拡大しつつあったポルシェAGの企業実績が追い風になっていたとはいえ、まさに順風満帆、とんとん拍子のサクセスストーリーだった。
こうした1960年代中後半から1970年代初頭にかけてのポルシェレーシング史を飾った車両が、時代枠(グリッド)ごとに数多く顔を見せるのがル・マン・クラシックの特徴だ。
【画像31枚】ル・マンクラシックでは各時代枠(グリット)ごとに、レーシング史を飾ってきたポルシェたちの姿が見られた>>4.5グループ4スポーツとして1969年にデビューした917。この年はポルシェAGとして一部のレースに参戦したが、翌70年からジョン・ワイヤー・オートモーティブに移管。ボディ形状も一新されK(H)とLHに名称変更。写真は通常モデルのKボディである。
>>現存するモデルが希少な1969年型の917ショートテールクーペ。1969年日本グランプリに参戦したのはこの型で、リアに可動式スポイラーを装備したが、今回のモデルにはこれがなかった。リアカウルはアクリルルーバー式だった。
>>ポルシェ917最大のライバルは同じく5Lスポーツのフェラーリ512系だったが、空力性能で917に劣り、ル・マン、シリーズ戦では歯が立たなかった。写真は70年型の512S。
初出:ノスタルジックヒーロー 2018年 12月号 Vol.190
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
2018イベント振り返り ル・マン・クラシック2018(全3記事)関連記事: 2018イベント振り返り【3】に続く