日産、正確にはプリンス/日産とポルシェは、日本のモーターレーシング史において、因縁浅からぬ関係で推移してきた事実を持っている。また日産にとってのポルシェは、ライバルであると同時に手本とする先達でもあった。今回は、その発端となったスカイラインGT対ポルシェ904 の鈴鹿対決を手始めに、両軍のレーシング対決を時系列に沿って紹介していこう。
【特集:日産vsポルシェ スカイラインGT(S54)vs カレラGTS(904)vol.1】
第1回日本グランプリ開催時の「メーカーの直接関与を禁ずる」という取り決めを文言どおりに守り、トヨタ以下に大敗したプリンス。翌年の第2回日本グランプリで雪辱を期したプリンスは、グランプリ制覇(GT‐Ⅱクラス)のため、スカイラインGTを製作して7台を投入。相手はMG-B、フェアレディ(SP310)が大半だったから、プリンス勢の上位独占はほぼ間違いのないところだった。
ところが、グランプリ2週間前の段階になって、突如としてポルシェ904が姿を現した。ドライバーは式場壮吉、トヨタの支援による参戦で、明らかにスカイラインGTの成功を阻むための対抗措置だった。
式場は、1回目の予選で早々と2分50秒6を記録して格の違いを見せたが、プリンスも生沢が2分49秒3、砂子が2分50秒0とスカイラインを限界まで攻めてこれを逆転。
これがドラマの始まりだった。プリンス勢からポールポジションを奪取しようと、2回目の予選で式場が無理をした。しかし、折からの雨で式場は1コーナーでクラッシュ。誰の目にも短時間での修復は無理と映ったが、徹夜の作業が功を奏し、痛々しい姿ながら、決勝グリッドに就くことに成功。
簡易修復だったが、式場の904はスタートからトップに立ち、追いすがるスカイライン勢は相手にならないように見えた……。こうした状況下で、まさかと思える生沢のトップ奪取劇。わずか1周の出来事だったが、サーキット中が大きく沸いた。性能的にはあり得ない事態だったが、生沢と式場の間に親交があったことを考えると、なるほどと納得できる1シーンだった。
【画像26枚】上位独占濃厚だったプリンスの前に突如現れた904。この登場はドラマの始まりだったのだ>>第2回日本グランプリGT-Ⅱ部門参戦の生沢徹車を復元したスカイラインGT。内外装についてはほぼ忠実な再現を試みたという。
>>かつての904を現代の技術で再現し、その走りを満喫させる再現モデルとして非常に価値のある車両だ。
【2】へ続く初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
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