日本人初のル・マン24時間を制した男のレース人生 関谷正徳物語 5|トヨタがル・マン24時間優勝を果たしたが、先人たちの活躍も忘れてはならない!

レイトンハウスから89年冨士GCレースにマーチ89Sで参戦。レイトンハウスの萩原任マネージャーから誘われたことから安川実と関係ができ、ル・マンの優勝につながった。

1980年代後半からレイトンハウスとトムスでのレース活動をすることとなった関谷正徳は、堅実さとクレバーさの両面を持つベテランらしい存在となっていた。

 1988年11月27日の「スーパーファイナルラウンド IN SUZUKA」。 関谷(レイトンハウスローラT87‐50)は初めてF3000のポールポジションを獲得。

 タイムは1分49秒156、2位はG・リース(レイナード88D)、タイムは1分49秒436。3位は星野一義(キャビンローラT88‐50 )、タイムは1分49秒861。決勝。優勝は星野一義、2位は関谷、3位は長谷見(佐川急便ダンロップローラT88‐50)。

「ポールポジションを獲得したことで、ようやくみんなに追いついたという感じです。レースをやっていける自信がつきました」

クルマ
1991年3月10日の「全日本富士500㎞レース」で小河等と組みトヨタ90C-Vを駆り3位入賞。優勝は
星野一義/鈴木利男組のカルソニックニッサンR91CP。


 1991年3月10日の「全日本富士500kmレース」。関谷/小河等組のトヨタ90C‐Vは予選5位。ポールポジションは星野一義/鈴木利男組のカルソニックニッサンR91CP。決勝で関谷/小河組は3位入賞。優勝は星野一義/鈴木組、2位は中谷明彦/V・ヴァイドラー組のニッサンR91CKだった。

 関谷は1992年、93年(カローラレビン)でグループAを戦う。94年(コロナ)と1998年(チェイサー)にはJTCC(全日本ツーリングカー選手権)シリーズチャンピオンになる。1999年5月30日の「全日本GT選手権第3戦SUGO GT選手権レース」。スープラ36号車(関谷/黒澤琢弥組)は予選で4位だったが、スープラはデビュー3戦目で初勝利を挙げた。

 そして現役最後のレースは2000年10月29日の「スーパー耐久シリーズ2000最終戦」(スポーツランド菅生)。関谷の強い希望で親友の星野薫と組み、上野クリニック・トムスアルテッツァでスポット参戦。星野薫は関谷のために一生懸命走った。クラス優勝、総合7位に入った。レース後オープンカーでコースを1周し観客の声援に応えた。2人にとって素晴らしい引退レースだった。関谷が引退を決めたシーンはこんなやりとりがあった。

「速さは今のままで十分だけど、どうなんだ?」とトムスの舘。
「ボク自身もそろそろ変えなきゃいけない時期だなと思っていたし、どう切り出そうかなんて迷っていた頃だったので『辞めようと思います』と言いました。それでは『スーパーGTとF3の監督をやれよ』ということになった」

 引退の決意をし、監督に就任した関谷は過去の岐路の場面を振り返った。

「節目節目に巡り会う人にボクは恵まれています。白鳥哲次さん、星野薫さん、小倉明彦さん、高橋晴邦さん、舘信秀さん、大岩湛矣さん、萩原任さん、赤城明さん、安川実さんなどたくさんいます。すばらしい出会いがあったことで、人生の道を切り開いてもらいました。今の自分があるのは皆さんのおかげなんです。お礼を言わせていただきたいと思います」と律儀な面をみせる関谷。

 そんな関谷に指導者としてトヨタから任務が与えられた。FTRS(フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール)の校長が最初の仕事。TDP(トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム)では、中嶋一貴、平手晃平、小林可夢偉を欧州のGP2やF3ユーロシリーズへ送り出した。中嶋一貴は08年からF1(ウイリアムズ)にフル参戦。

 小林は10年からザウバーF1チームのレギュラードライバーになった(ザウバーC30を駆り11年モナコGPで5位入賞!)。若手を育て上げる関谷の手腕は高く評価されている。

「最近、レースはなぜメジャーになれないか、真剣に考えているんです」と意表をつく言葉が飛び出した。そこで関谷は新しいコンセプトで日本のモーターシーンを盛り上げるために企画をたてた。

「ドライバーが同じ土俵で戦えるレースの実現を目指しています。インタープロトシリーズ(IPS)はプロとオーナードライバーが同一マシンをシェアしてプロとアマチュアの2つのレースを提供します。協力していただける方があれば幸いです。ぜひブログを見てください」と、関谷は猛烈にアピール。

 レースの軌跡をたどろうと試みたインタビューだったが、関谷は次のことを日夜考えていた。オレンジボールを出され、走行停止を命じられた屈辱のレースを今も忘れず、関谷は未来に向かって目を輝かせている。

人物



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年8月号 Vol.146(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

cooperation:Masanori Sekiya/関谷正徳

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