スポーツカーの楽しさを日本に教えた伝道師MGミジェット 1

MGミジェットの人気を確立させたライトウエイトスポーツ

 20世紀最悪の惨禍、第二次世界大戦がようやく終結した1945年。戦前からライトウエイトスポーツカーの傑作を数多く世に送り出してきたイギリスのMGは、早くもこの年の秋から初の戦後型MGミジェット「TCミジェット」の生産を開始。大戦中から英国やヨーロッパに駐留していたアメリカ軍将兵らにそのたのしさを見いだされ、戦後にスポーツカーの一大ブームを迎えた北米大陸に大量に輸出。当時「輸出か死か」と言われていたイギリスに貴重な外貨をもたらした。

 そして後継車として50年1月に登場した「TDミジェット」は、古典的ミジェット・ロードスターのイメージを保ちつつも、シャシーは大幅にモダナイズされたモデルとなった。まず、フレームは閉断面ボックス構造とされ、ダブルウイッシュボーン式前輪独立懸架+コイルスプリングの採用も相まって、若干ながらソフトになった乗り心地とハンドリング、ロードホールディングを両立させることに成功した。

 また、19インチから16インチに小径化されたホイールは、センターロック式ワイヤーからボルトオン式のスティールディスクに変更(センターロックワイヤーはオプションで選択可)されてしまったが、その一方でステアリングはラック&ピニオン式へと進化し、正確性は格段に増した。

 パワーユニットについてはTB/TCと同じく125cc直列4気筒OHVで55psの「XPAG」ユニットを搭載。しかし、北米市場の要請から快適志向を高められたTDミジェットは、TC時代から車重も増えていたため、特に英本国の原理主義的MGファンの間では、スポーツ性が薄れたという辛辣な評価も受けたという。

 それでもこのモデルチェンジは、最重要市場である北米を中心に大いに受け入れられ、53年8月をもって後継車TFにその座を譲るまでに、TCミジェットの3倍に当たる約3万台を生産。さらに当時の占領軍関係者が日本国内に持ち込んだTDは、飛行場内で行われたジムカーナやヒルクライムなどでも活躍。そののち日本人愛好家たちに譲られたことから、結果的にわが国のスポーツカーの魅力を初めて伝える伝道師となった。ひと頃の我が国における「エムジー」という単語は「スポーツカー」と完全同義語になっていたとさえ言われているのだ。





ノスタルジックヒーロー 2018年2月号 Vol.185(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hiromi Takeda/武田公実 photo:Daijiro Kori/郡 大二郎

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