2020.09.03
「様々な人の協力があって完成しました」豊富な知識とネットワークで仕上げられた希少車|1964年の東京 ...
「プリンスガレージかとり」代表である香取孝さんが手に入れ、レストアして仕上げた東京オリンピックで使用されたグロリア・デラックス。 自身がプリンス車と日産車の根っからファンであり、その豊富な知識とネット ...
2020.09.03
ニスモ創設のきっかけは、1982年10月2日のWEC富士6時間レースの参戦のポルシェ956。日本のモ ...
1982年10月2日。 日本のモータースポーツ界に衝撃を与える重要なレースが開催されていた。この年から施行されたグループCカー規定による、WEC富士6時間レースである。 なかでも、この新規定に合わせて ...
2020.09.02
車内外に当時物パーツやグッズ、ステッカーなど盛りだくさん!|1964年の東京オリンピックで使われたグ ...
特別塗装色のソリッドの水色で塗られたグロリア・デラックス。今回取材した車両は「プリンスガレージかとり」代表である香取孝さんが手に入れ、レストアして仕上げた1台だ。「東京オリンピックはほとんど記憶にない ...
2020.09.02
「スカイライン神話に、ひとりの男がいた」スカイラインの親となった一人の技術者|スカイラインを愛した男 ...
一人の技術者であった櫻井が有名になったその理由。スカイラインの宣伝に登場することとなった経緯を知る人はまず居ないだろう。 櫻井を宣伝に起用したのは日産プリンス企画部宣伝課課長の細越高敏。C10スカイラ ...
2020.09.01
出合いは奇跡!? 知人が持っていた五輪使用車の証明書と中古車屋に並んでいたクルマが一致!|1964年 ...
「プリンスガレージかとり」代表である香取孝さんが手に入れ、レストアして仕上げたのもそのデラックスの1台だ。「このクルマは21年ほど前に手に入れて、北京オリンピックまでにレストアしようと考えていたのです ...
2020.09.01
「われわれ設計の意思伝達の手法は図面しかない」部下に伝えたかった哲学|スカイラインを愛した男 櫻井眞 ...
スカイラインの親である桜井の上司であった日村。 彼の設計哲学から直接的に影響を受けた櫻井は『人間と対話できるクルマ作り』を目指すようになる。多分に日村の考え方と共鳴するものがあり、櫻井に引き継がれたも ...
2020.08.31
1964年の東京オリンピックで活躍した特別色の1台|1964年の東京オリンピックで使われたプリンス ...
コロナ禍がなければ今年の夏に開催されていたはずの東京オリンピック。 老若男女を問わず、これだけ多くの感動を共有できるイベントは他にはなく、開催が延期されたことを残念に思う人も多いだろう。 1964年に ...
2020.08.31
彼の転職がなければスカイラインはこの世に存在しなかった!?|スカイラインを愛した男 櫻井眞一郎氏を偲 ...
今でこそスカイラインの生みの親として知られる櫻井眞一郎だが、大学を卒業後は清水建設に入っている。 これは櫻井は自動車に関係する仕事につきたかったが、世の中は不況で、トヨタも日産もいすゞも人を採らなかっ ...
2020.08.30
諸説あり!? 「スカイライン」その名付け親とは?|スカイラインを愛した男 櫻井眞一郎氏を偲ぶ Vol ...
スカイラインは名車中の名車として知られている。スカイラインのクルマとともに知られているのが、スカイラインの生みの親である櫻井眞一郎。櫻井を特集した自動車雑誌はよく売れた。また、単行本も記録破りの売れ行 ...
2020.08.29
グループAの勝利のカギ、その答えは最強のツーリングカーBNR32“GT-R” ...
日産が、グループAレースに投入したDR30スカイラインRSターボ。 4バルブDOHCエンジンにターボチャージャを装着。世界的にも類を見ない高性能メカニズムを持ち「史上最強のスカイライン」をうたう性能自 ...
2020.08.28
RB20DET-R型エンジンを搭載した「800台限定のグループA対策車」スカイラインGTS-Rが勝利 ...
グループAでは、かつてのようにSOHC方式が4バルブDOHCに大化けするような手法は封じられていた。 もっとも、こうした状況は70年代後半から80年代前半にかけてのヨーロッパでのことで、日本はまた異な ...
2020.08.27
65年式以降にあったワインレッドの内装をインストール! 夏の猛暑の中も涼しく走れるクールな1台|63 ...
今回の取材車両である、1963年式セドリック・スペシャル。 この個体はフルレストア車で、製作は本誌でもおなじみの旧車専門店、ヴィンテージ宮田自動車が手がけた車両だ。「在庫販売車両をベースにレストアする ...
2020.08.27
「ニスモ」設立と時を同じくして日産モータースポーツが再始動。Cカー、そしてツーリングカーレースへ|日 ...
1970年代中後半の活動休止期をはさみ、日産のモータースポーツ活動が本格再始動するのは、スーパーシルエットの終盤期からグループCカーへの移行期、「ニスモ」の設立時期あたりと見てよいだろう。日産自動車か ...
2020.08.26
「スペシャル」を車名に冠した特別な高級感を漂わせるセドリック|63年式 日産 セドリック・スペシャル ...
この初代セドリックが順調に販売を伸ばしていた頃、日産はさらに高いグレードのクルマをセドリックをベースに開発していた。62年10月に東京・晴海で開催された第9回全日本自動車ショーで展示され、63年2月に ...
2020.08.26
〈3〉R33では「GT-Rらしくしてくれ」と開発メンバーに呼ばれた|5世代のスカイラインをデザインし ...
R30.31,32と開発に携わってきた西泉秀俊。 当然、R33にも西泉はたずさわったが開発の最初はメンバーに入っていない。GT‐Rのデザイン修正から参加したのだ。しかも「GT‐Rらしくしてくれ」という ...
2020.08.25
「わが国初の大型車発売」と謳われた直列6気筒OHV搭載の特別なセダン|63年式 日産 セドリック・ス ...
日本のモータリゼーションのきっかけは、外国で設計されたクルマの部品を輸入して組み立てるという、ノックダウン方式から始まった。日産は英国オースチン社と技術提携して、1953年からA40サマーセット・サル ...
2020.08.25
純正オプションの日産トリコロールを纏う1台! 日産ラリーマニアのオーナーが持つ貴重な個体|1988年 ...
1987年にデビューしたU12ブルーバードSSSは久々にラリーに参加するとあり話題となった。なかでもSSSのポテンシャルをさらに高め、ラリー競技専用モデルとして誕生したのが、「日産 ブルーバード 18 ...
2020.08.25
〈2〉R32GT-Rのデザイナー西泉秀俊はこう語る「レースに勝って欲しくてGT-Rをあのデザインにし ...
R31の開発は主査だった櫻井が病床に伏し、1984年12月に伊藤修令へバトンタッチされた。西泉は最初のスケッチからプロジェクトにたずさわり、フルサイズの案を描いた。 A案は島崎敏行、B案は西泉だったが ...
2020.08.24
当時、日産の市販車で唯一、車種専用となった貴重なエンジン。その名はCA18DET‐R型|1988年式 ...
日産のサファリラリーにおける栄光はめざましく、過去には多くのブルーバードがクラス優勝を飾っていた。 1987年にデビューしたU12ブルーバードSSSは久々にラリーに参加するとあり話題となった。なかでも ...
2020.08.24
〈1〉R30からR34まで携わったデザイナー西泉秀俊の人生|5世代のスカイラインをデザインした男 V ...
今なお人気の高いR30スカイライン。 R30スカイラインのマイナーチェンジでグリルレスになった鉄仮面。誰がデザインしたのかという疑問を、西泉秀俊に突撃インタビューした。「R30はそれまでと違って当初か ...
2020.08.23
ニスモとオーテックジャパンがタッグを組んで誕生したSSS-R|1988年式 日産 ブルーバード 18 ...
日産のサファリラリーにおける栄光はめざましく、初出場は1963年の初代312ブルーバード。1965年には2代目410ブルーバードSSSに変更され、1966年には総合5位、クラス優勝を達成。1970年に ...
2020.08.23
あえてキャブ化。プロフェッショナルの誇りで生まれ変わる4発|FJ型エンジンと81年式 スカイライン ...
S20&L20型という、直6を中心としたスカイラインのエンジン系譜を激変させたのが、FJ型エンジンだった。直4でさえ、力強いパワーを発揮することを教えてくれたFJ型エンジン。それをスカイラインDR30 ...
2020.08.22
真っ赤な結晶塗装のカバー。軽量の2Lエンジンをキャブ化|FJ型エンジンと81年式 スカイライン 20 ...
DR30スカイライン2000RSのエンジンルームでまず最初に目に飛び込んでくるのは、真っ赤な結晶塗装を施したヘッドカバー。その印象的なエンジンFJ20型が誕生したのは1981年のこと。同年8月に6代目 ...
2020.08.21
〈5〉特別なグレーのS54A「思いを受け継いだ感じです」。集めたコレクション全てに思い入れがある|ス ...
今から約30年前、ノスタルジックヒーローの読者投稿コーナー「アルバムからの1枚の写真 総天然色編」に掲載された「将来は全タイプのスカイラインを集めたい」という一人の読者のコメント。その夢を実現した、ス ...
2020.08.21
「やっていることはGT‐Rのレストア以上」あえてのL20型改の理由|71年式 日産スカイラインHT ...
「やっていることはGT‐Rのレストア以上。フェンダーやガラスは本物なので、ボディはGT‐Rそのものですよ」そう語るのは「プレミアムカーショップ ピットハウス」の代表で、このスカイラインHT 2000 ...
2020.08.20
〈4〉ミケロッティ・デザインの「スカイラインスポーツ・コンバーチブル」のコンセプトカーも!! |スカ ...
2011年12月中旬、ノスタルジックヒーロー編集部にかかってきた1本の電話。その内容は、「20年ほど前、ノスヒロに掲載された時に、将来スカイラインを全シリーズ集めたいとコメントしたんですが、ようやく揃 ...
2020.08.20
フルレストアGT-R仕様のエンジンはL20型改|71年式 日産スカイラインHT 2000 GT Vo ...
完璧なGT-R仕様を求めるがゆえ、貴重な本物のGT‐R用リアフェンダーを装着している、71年式 日産スカイラインHT 2000 GT。 リアフェンダーだけでなく、フロントグリルや全面白ガラスなども、本 ...
2020.08.19
〈3〉ALSI-1、ALSI-2、S21D、初代プリンス スカイラインも3台が並ぶ!|スカイラインを ...
2011年12月中旬、ノスタルジックヒーロー編集部に1本の電話がかかってきた。その内容は、「20年ほど前、ノスヒロに掲載された時に、将来スカイラインを全シリーズ集めたいとコメントしたんですが、ようやく ...
2020.08.19
「ラリーの日産」の期待を背負いWRCへ挑んだが時代の波に飲み込まれた悲劇の名車|日産240RS
日産自動車が送り出した唯一のグループBカー、240RSは1983年から86年までのWRCに出場し、最高位はデビューイヤーの83年、ニュージーランドの2位。85年まで実質3年間のワークスカーとしての活動 ...
2020.08.19
本物の白ガラスやリアフェンダーを使った完璧なGT-R仕様。|71年式 日産スカイラインHT 2000 ...
「ノスタルジック2デイズ」に向けて、毎回、精魂込めた1台を製作する「プレミアムカーショップ ピットハウス」。2012年に開催された第4回に持ち込んだのが、この71年式 日産スカイラインHT 2000 ...