2020.09.11
70年代排ガス規制からの復帰後もいきなり総合優勝! そして4バルブDOHCのLZヘッド! 「ラリーの ...
「ラリーの日産」としての活動していた日産自動車。 しかし、1970年代初頭に持ち上がった排ガス規制はラリー活動にも影響を与え、日産ワークスとしての活動は73年いっぱいでいったん後退することを余儀なくさ ...
2020.09.10
L型エンジンとともに! グループ2/4の活躍、グループBの善戦。世界に日産の名を知らしめた猛者たち| ...
継続的に国際ラリーへの参戦を始めるのが1963年。これがサファリラリーで、310ブルーバード、30セドリックを擁しての参戦だった。以後この布陣をしばらく続け、1966年にはクラス優勝(410ブルーバー ...
2020.09.09
ココにもNISMO! 戦後日産モータースポーツの原点は、1958年の「モービルガストライアル」|サフ ...
日産自動車のモータースポーツ史の原点となるのはサーキットレースでなく、実は市販車の耐久性、信頼性が問われるラリーに端を発していた。戦後の混乱から社を立て直し、自動車メーカーとしての質と認知度を引き上げ ...
2020.09.05
2番手を6秒離しポールポジション獲得! VRH35予選仕様が90年のル・マンで見せたポテンシャル|日 ...
グループCカーにおいてポルシェ全盛だった1986年に念願のル・マン参戦を果たした日産。持ち込んだ車両はマーチ85G86GにVG30ターボを組み合わせたR85V、R86Vの2台だ。星野組R86Vはミッシ ...
2020.09.04
ベンツ、ジャガー、トヨタと競い合った? 82-92年のレースシーンで戦ったグループCマシンとニスモ創 ...
1984年9月に日産自動車系列のモータースポーツ専従会社として「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル」、略称「ニスモ」が創設された。 当時の国内レースは、全日本F2選手権、富士GCシリーズと ...
2020.09.03
ニスモ創設のきっかけは、1982年10月2日のWEC富士6時間レースの参戦のポルシェ956。日本のモ ...
1982年10月2日。 日本のモータースポーツ界に衝撃を与える重要なレースが開催されていた。この年から施行されたグループCカー規定による、WEC富士6時間レースである。 なかでも、この新規定に合わせて ...
2020.08.29
グループAの勝利のカギ、その答えは最強のツーリングカーBNR32“GT-R” ...
日産が、グループAレースに投入したDR30スカイラインRSターボ。 4バルブDOHCエンジンにターボチャージャを装着。世界的にも類を見ない高性能メカニズムを持ち「史上最強のスカイライン」をうたう性能自 ...
2020.08.28
RB20DET-R型エンジンを搭載した「800台限定のグループA対策車」スカイラインGTS-Rが勝利 ...
グループAでは、かつてのようにSOHC方式が4バルブDOHCに大化けするような手法は封じられていた。 もっとも、こうした状況は70年代後半から80年代前半にかけてのヨーロッパでのことで、日本はまた異な ...
2020.08.27
「ニスモ」設立と時を同じくして日産モータースポーツが再始動。Cカー、そしてツーリングカーレースへ|日 ...
1970年代中後半の活動休止期をはさみ、日産のモータースポーツ活動が本格再始動するのは、スーパーシルエットの終盤期からグループCカーへの移行期、「ニスモ」の設立時期あたりと見てよいだろう。日産自動車か ...