日産のレーシングカーが7リットル級エンジン搭載も検討!? 日本グランプリからCAN-AMへ|NISSAN the Race Vol.3

1964年の第2回大会以降、2L級のプロトタイプスポーツを核に発展を遂げてきた日本グランプリは、1968年の第5回大会を迎える段階で大きな転換点を迎えていた。排気量無制限のグループ7カー規定がその中心に据えられたからだ。グランプリを制するにはより大排気量で大パワーを。これがエントラント全員の合言葉になった。

       
R382に次ぐR383で、7L級の排気量やターボチャージャーの採用を検討していたことからもはっきりする。

 それにしても、67年の後半にはまだ2L級エンジンの効率改善に腐心していたメーカーが、わずか2年の後には6L級エンジンの存在が当たり前の価値観となり、さらにその上のパフォーマンスまで考慮に入れていたのだから、まさにグループ7が持つ「排気量無制限」のアリ地獄と言うにほかならないだろう。

 残念ながら日産のグループ7カー計画は、70年代に入ってすぐに起きた公害問題のため中止となっているが、もしそのまま続いたら、引き返せない状態にはまり込んでいたかもしれない。

 実際、ここで紹介したシャシーナンバー「R382‐14」の車両は、紛れもなく69年日本グランプリ優勝の黒沢車で、CAB‐AMのコースで試走を行なうためにアメリカへ送られ、その後いったん所在が不明となっていた車両である。

関連記事:開けてしまったパンドラの箱「グループ7」。世界を夢見たビッグマシンの栄光と幻影|NISSAN the Race Vol.1

もちろん、CAB‐AM参戦への準備活動のためで、本命の車両というわけではなかった。

 そのCAB‐AMシリーズは、ポルシェ917ターボが登場したことで、8Lを超す超大排気量V8勢がことごとく撃破され、70年代なかばに事実上の終焉を迎えていた。

だが、もし日産がグループ7カーを続けていたら、ポルシェ917ターボと1000馬力を軽く超す領域で、壮絶なパワー競争を繰り広げていたことだろう。

 本来アメリカングループ7カーは、ローテクなところに持ち味があり、それがレースを楽しむ余地にもつながっていたが、日本やドイツのハイテクメーカーが真正面から取り組むと、正真正銘の死闘になるおそれがあった。



 日本ではわずかに2年強の活躍だったが、ほどよく大パワーを楽しませてくれる古き良き時代の正夢だった。



R382ではリア側のダウンフォースが上回っていたが、R383では前後バランスを考慮したカウル形状に変更されている。





オリジナルの仕様はスライドプレート型(69年日本グランプリ仕様)となる。





エキゾースト系などは異なるもののR383(中)も基本的には同じ仕様だが、近年、両車を可動状態とするため、スロットル形式がバタフライ型に変更された。

関連記事:大排気量で大パワーを! パワー競争の果てに見たビッグマシンの栄光と幻影|NISSAN the Race Vol.2


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo : Masami Sato/佐藤正巳

RECOMMENDED

RELATED

RANKING