240Z以前にアメリカを魅了したビッグ・ヒーレー 1

スポーツカーの古典を示すマスターピース

 鋳鉄シリンダー・ブロックに鋳鉄ヘッドのOHVエンジンを、ようやく前輪懸架のみ独立化した古典的シャシーに積むスパルタンなスポーツカー。ドイツやイタリアのライバルとなるような新しいテクノロジーとは無縁だが、美しいスタイルと、当時のレベルでは十分に優れた性能によって人気を博したオースチン・ヒーレー100とその係累は、ロードカーとコンペティションカーとの間にまだ垣根などなかった時代の終焉を締めくくる、最も幸運な一例といえるかもしれない。

 1952年に発表。そして翌年5月から正式発売されたヒーレー100は、BMC・オースチン部門の大型車「A90ウェストミンスター」から直列4気筒OHV2.7Lのエンジンやサスペンションなどを流用。イギリス国内はもちろん、当時の自動車メーカーにとって「生命線」とも呼ばれていた北米市場においても目覚ましいヒットを獲得した。しかし、各コンポーネントの供給源たるA90のパワーユニットが直列6気筒エンジンに変更されたことに伴って、56年のモデルイヤー半ばにして「100‐6(BN4)」へと進化を遂げた。

 シリンダーブロック/OHVヘッドともに鋳鉄製。直列6気筒4ベアリング、総排気量2639ccのBMC「Cタイプ」エンジンは、2基のSU製H4キャブレターと専用ヘッドで、ベースのA90用からすればはるかに大きな102psのパワーを獲得。4気筒時代と比べると、サイズアップの影響で100kg近く重くなってしまったボディに、ほぼ同等のパフォーマンスを与えた。しかし、やはり性能面への不満の声はあったようで、57年9月以降の生産分は、117psへとさらなるパワーアップを果たすことになった。

 一方、BN4のボディはデビュー時からリアに+2シートが設けられていたが、100‐4時代の美しいリアスタイルを求める純粋主義的愛好家の要望に応えて、58年春には6気筒ヒーレー初の2シーターモデル「BN6」を追加設定。2+2と2本立てのラインナップが完成することになる。そして同じ58年には、可愛らしい末っ子、「カニ目」ことスプライトが登場したことから、ヒーレー100‐6には「ビッグ・ヒーレー」という世界的に有名なニックネームが、自然発生的に命名されることになったのだ。

 さらに約1年後の59年6月には、ベース車であるA90が2912ccの「A99」にマイナーチェンジされたのに従って、オースチン・ヒーレー100‐6も3Lに拡大。一連のシリーズでは最も有名な「ヒーレー3000」へと進化するに至った。





ノスタルジックヒーロー 2016年8月号 Vol.176(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hiromi Takeda/武田公実 photo:Jyunichi Okumura/奥村純一

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