トヨタ初のサファリ制覇はセリカ|トヨタラリー活動の半世紀 vol.2

TA64セリカ・ツインカムターボ。WRCへは当初スポット参戦の形をとっていた

       
2018年のメイクスタイトルに続き、トヨタが2019年のWRCでドライバーズタイトルを獲得した。
これでトヨタは2018〜2019WECシリーズと合わせ、世界選手権2部門制覇という見事な戦績を記録することになった。
振り返ればトヨタの本格的な国際ラリー活動が始まってすでに半世紀。その足跡をたどってみる。


 トヨタは72年のRACラリーにアンダーソンを起用。
このRACラリーへの参戦活動を通じてアンダーソンの人物像を理解したトヨタは、彼にラリーチームの結成を提案する。

 トヨタ側(自工・難波江延治)の考えは、国際ラリー活動(ヨーロッパ)は、活動拠点を現地に置き現地人によるチームが運営すべきで、日本側(トヨタ)は車両、部品、資金の供給で活動を支援する体制の確立にあった。

 この結果、設立されたのがチーム・トヨタ・アンダーソンだったが、契約期間は1年で、社会情勢の流れから、トヨタは表立ったモータースポーツ活動の中止を余儀なくされる事態となっていた。
この活動中止を豊田章一郎自工専務がアンダーソンに伝える席で、「中止したら復帰は困難。本当によいのか」と豊田に助言したのが福井敏雄だった。
後にTTE副社長としてセリカによるWRCタイトル獲得に手腕を発揮した人物である。

 この時点で福井がいなければトヨタのラリー活動は中止。アンダーソンとの関係も切れ、TTEの存在はなかったことになる。
このTTEの存続がトヨタの国際ラリー活動を支え、TMGとなってWEC、ル・マンの制覇につながることになるのだから、その貢献度は計り知れない。
ここでは、そのラリー活動を発端から写真で振り返ってみることにした。



写真から判断するとサファリラリーでの記念撮影らしいが、
ドライバーとしてユハ・カンクネン(右から2人目)の顔が見える。
TTEの体制が本格化、発展を遂げていた頃だ。


1982年、レギュレーションの変更に従ってラリーカーはグループB規定の車両に。
トヨタはTA64セリカGT-TSを投入。この頃ドライバーの軸は、
アンダーソンとも親交の深かったビヨルン・ワルデガルドが担っていた。


壮絶な走りのシーンが連続するサファリラリー。
車両へのダメージという意味では、アクロポリスと双璧を成すサファリラリー。
トヨタはここで1984年から1986年まで3連覇を成し遂げる。


高速のジャンピングスポットで宙を舞うTA64セリカ・ツインカム・ターボ。
まだWRCには全戦参加ではなく、ポイントとなるイベントを選んでのスポット参戦だった。




トヨタ車によるサファリ初優勝となった1984年。
ビヨルン・ワルデガルド/ハンス・ソルセリスウ組で、
ワルデガルドはこの後1986年、1990年と3度サファリで優勝を果たしている。


WRC規定のグループBからグループAへの移行を受け、
トヨタはスープラでラリー活動に臨んだ時期があった。
写真は1987年サファリラリー。冠雪のキリマンジャロを背景に。


同じくスープラによるサファリラリーのワンシーン。
グループAでも4WDターボを持っていたランチア(デルタHF)に対し、
苦しい戦いを強いられていた時期だ。


待望の4WDターボ、セリカGT-FOUR(ST165)を得た1988年。
カンクネン、ワルデガルド、アンダーソン、ケネス・エリクソンの顔が並ぶ。
ランチア・デルタとの一騎打ちが始まった。


ワルデガルドに代わりカンクネンがエース格として活躍。
写真は1989年シーズンのものだが、すでにカンクネンは1986年(プジョー205)、
1987年(デルタHF)で2度のドライバータイトルに輝いていた。


1990年、カルロス・サインツがランチア・デルタを破り、
セリカGT-FOURでドライバータイトルを獲得。
これがトヨタのWRC初タイトルとなった。


1992年シーズンからセリカGT-FOURは第2世代のST185に進化。
同年、サインツが2度目のドライバータイトルを獲得、
翌1993年にはカンクネンがドライバータイトル、
そして念願のメイクスタイトルを獲得した。


カンクネンが優勝した1993年のサファリラリーだが、
こうした状況だと車種が何であるかよく分からない。
この頃のセリカは、スピードと信頼に優れる安定した車両だった。


1994年のオーストラリア・ラリーから投入されたST205セリカ。
しかし、ST185に較べて重く、リストリクター径も絞られたことで相対戦力は低下。
WRCは1勝のみだった。


WRCがグループA規定からWRカー規定に切り替わったことで、
トヨタもカローラに車種を変更。この頃はスバル、
三菱が台頭し日本車による三つ巴の争いが繰り広げられた。


1998年、1999年の2シーズン、トヨタはカローラWRCでWRCに参戦。
98年はメイクス、ドライバーとも僅差の2位だったが、
逆に99年は僅差でスバルを抑えメイクスタイトルを獲得。
トヨタのWRC活動は、この1999年をもっていったん休止となる。


ノスタルジックヒーロー  vol.197 2020年 2月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

関連記事:ラリーに関する記事

text:Akihiko Ouchi/大内明彦

RECOMMENDED

RELATED

RANKING