世界ラリーへのトヨタの挑戦。きっかけはマークII!|トヨタラリー活動の半世紀 vol.1

ヤリスWRCを走らせたオット・タナックが2019年ドライバーチャンピオンを獲得

2018年のメイクスタイトルに続き、トヨタが2019年のWRCでドライバーズタイトルを獲得した。
これでトヨタは2018〜2019WECシリーズと合わせ、世界選手権2部門制覇という見事な戦績を記録することになった。
振り返ればトヨタの本格的な国際ラリー活動が始まってすでに半世紀。その足跡をたどってみる。


 1999年にカローラWRCでタイトルを獲得して以来、2017年までWRC活動から遠ざかっていたトヨタだが、復帰2年目となる2018年、見事にメイクスタイトルを獲得した。
 そんなトヨタは、2019年もヤリスWRCを走らせたオット・タナックがドライバーチャンピオンを獲得。WRCで2年連続の世界タイトルをトヨタにもたらした。
 世界選手権と言えば、ハイブリッドプロトを走らせるWECシリーズでも、トヨタは2018~2019年シリーズのメイクスとドライバーの両タイトルに輝き、今シーズン2つの世界選手権を獲得したことになる。

 さて、そのトヨタの国際ラリー活動だが、発端は一部人間の理解と努力によって始まったものだった。トヨタの国際ラリーは、1969年の日本グランプリでトヨタ7を操ったビック・エルフォードが、1970年のモンテカルロラリーにマークⅡ GSSで参戦したことがきっかけとなっていた。

 トヨタが国際ラリーに参画するなら、オベ・アンダーソンを使ってみないか、とエルフォードのナビが助言したのである。これが実を結び、トヨタは1972年のRACラリーにアンダーソンを起用。このRACラリーへの参戦活動を通じてアンダーソンの人物像を理解したトヨタは、彼にラリーチームの結成を提案する。

 トヨタ側(自工・難波江延治)の考えは、国際ラリー活動(ヨーロッパ)は、活動拠点を現地に置き現地人によるチームが運営すべきで、日本側(トヨタ)は車両、部品、資金の供給で活動を支援する体制の確立にあった。



トヨタの本格的なラリー活動は、1972年のRACラリー挑戦で始まった。
その際、キーマンとなったのがオベ・アンダーソン。
その後トヨタは、アンダーソンと二人三脚で国際ラリー活動を展開していくことになる。
写真は1973年のTA22セリカ。


サービスポイントで作業中のTE27レビン。
1974年のRACラリーからのひとコマだ。
運転席側ドアの傍らに立つのがドライバーのアンダーソン。


TA22セリカ2台、TE27レビン2台、計4台で臨んだ1975年のRACラリー。
この時の体制は「チ-ム・トヨタ・アンダーソン」。
活動拠点を現地(ヨーロッパ)に置く方針から作られた活動体制だった。


雪と氷のスウェーディッシュラリーに臨むTA22セリカ。
1976年のイベントでドライバーはペンティ・アイリッカラ。
ランチア、フィアットのイタリアメーカーがWRCで強かった時代である。


セリカのモデルチェンジに伴い、競技車両もRA40系2000GTに変更。
写真は1979年のサファリラリー。
この年、グループ4用152E型エンジンの公認を取得。
戦闘力を上げていた。


1981年のツール・ド・コルスを走るRA40セリカ。
すでに組織はTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)に改編されていた。
が、アンダーソンが率いる体制には変わりがなかった。


ノスタルジックヒーロー  vol.197 2020年 2月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Akihiko Ouchi/大内明彦

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