大衆車に豪華さと華やかさを与えたスポーティーオープン| トヨタ パブリカコンバーチブル Vol.1

       
1968年式 トヨタ パブリカコンバーチブル(UP20S)

 戦後モータリゼーションの流れにあって、オープンモデルのなかでもパブリカ・コンバーチブルは特異な存在と言えるだろう。

 戦後10年、昭和30(1955)年代に入り、本格化の兆しを見せ始めた自動車産業界は、通産省(当時)提示の国民車構想により、生き残りをかけてあの手、この手の方策を思慮。

 低価格で大人4人が乗れ、だれもが無理なく手にすることができることを基本コンセプトにした軽自動車は、まさにこうした時代背景の産物だったが、一方で、大手自動車メーカーとなりつつあったトヨタは、廉価な小型自動車のほうがよりよいと判断し、パブリカ(UP10系)を企画した。


フェンダーのエンブレムは「パブリカS」となっている。Sは、スポーツを意味するのだという。


2度目のレストア時にソフトトップの張り替えを行っている。すでに10数年を経るが、ソフトトップの生地はオリジナルより厚手、上質なクロス地(本来はビニール生地)を選んだという。


 発売は61年。エンジンは700ccと軽自動車とは比較にならない余力を持ち、ボディサイズもひと回り、ふた回りほど大きく、室内空間にもゆとりがあった。それでいて価格は軽自動車に近似したゾーンに設定され、客観的には売れる要素を備えていた。

 しかし、パブリカ700は不発。価格を抑えるため、機能や装備を徹底的に簡素化したことが裏目にでた。トヨタは対策として、充実装備のデラックスグレードを63年に追加。さらに華やかさを彩る目的で、オープンモデルの「コンバーティブル(カタログ表記)」を追加。

 実直一辺倒だったパブリカシリーズに、豪華さや華やかさが添えられたことで、市場の注目度は向上。さらに動力性能を引き上げる目的で、66年に排気量が800ccに引き上げられた。


タイヤはオリジナルのバイアスタイヤに換え、実性能を重視して155/80R12サイズのラジアルを履く。パブリカコンバーチブルの時代背景としてラジアルタイヤのOEM装着は皆無。


ガラスはアクリル製。幌を上げた状態で装着する。装着は差し込み式だ。


幌の裏地に見えるサインは、2009年にイベントで出会った岩城滉一さんのもの。


後面トランクリッド上のエンブレムはTOYOTAの社名。


ノスタルジックヒーロー vol.195 2019年10月号掲載(記事中の内容はすべて掲載時のものです)

text : Akihiko Ouchi/大内明彦 photo : Masami Sato/佐藤正巳

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